「心の主人」について、お話します。

ここは「心」の修行をする場所です。まずは、私たちの「心」を知りましょう。

私の心を自分と同一視するのではなく、
本質的な私たちの成長のための「道具」として使いましょう。

「道具」として使い、その「心」の主人になれということです。私たちが「心」の使い方を誤ると、人生が「生」「滅」に別れてしまいます。

私たちには「肯定的な心」と「否定的な心」があります。「否定的な心」も「私の心」で、「肯定的な心」も「私の心」です。いいだろうが悪いだろうが、すべて「私の心」です。悪もあって善もありますね、良いものもあれば悪いものもあります。このどちらにも偏らないことです。

「中庸」です。偏りなくバランスを取ること。水平を保ち、いいこと悪いことに偏らないこと。

私たちの心というのは「否定的な心」を持つと閉ざされてしまって針一本も通らなくなります。怒りがこみ上がってきたときは、誰がどんな話をしても、私の心には入ってこないんです。

でも、肯定的な考えをしているときは、「心」が ぱっと開きます。
私の心が開かれたときは、フチがなくなるから、どこまでも開いていきます。

ここでは「一切唯心造」という言葉を、たくさん聞くと思います。

普通の人たちというのは、自分が誰なのかを知らない人たちです。これを知るというのは、とてつもない差なのです。「私」を知っている人は、私の心次第に、全部できます。

でも、私が誰なのかを知らない人は、私の心次第には「できない」ということに、確信を持っています。