「考えの主人」になることです。

「考え」というのは、私がそれを選んで使うときは「実存」になります。
それを使った後は捨てるべきです。

使った後にもずっと握りしめていると、その考えが腐っていきます。考えは形がないので、考えそのものが腐るわけではなくて、私の体が腐っていきます。これがわかれば、考えを長く握りしめることは、なくなるじゃないですか。人類の敵は考えと病いです。なぜかというと、否定的な考えを握りしめているから、また怒りがおこって、またそれが溜まって病気になっていきます。

お茶を飲むこの瞬間だけは「実存」なんです。
のどが渇いて飲む瞬間、それは実存ですけど、その喉の渇きがなくなった後にも、それを飲むという「考え」をずっと続けて飲み続けると胃が悪くなっていきます。これを飲み続けなきゃと思っていたら、それは正常ではないんですね。同じように、考えが起きてそれを使うときは「実存」で、それは実際のことです。でも使った後は捨てるべきです。

仏教の金剛教の中には、筏(いかだ)のたとえがあります。
筏を使って川を渡れたからと言って、その筏を陸地でもかついで歩くことじゃないと。川を渡ることができたから、その筏には感謝するけど。それを使うときは実存ですけど、でも使った後は捨てることです。

家を建てるとき、大工たちが道具を使いますね、でも家が建ったらその道具は使いません。 

使った後には捨てることです。これが「考え」を扱う上での方式なんです。考えを握りしめていると腐っていく。私の体が腐っていくんだということがわかれば、それをずっと握りしめている必要はないじゃないですか。

だから、考えを自由自在に使うことができる「主人になろう」ということです。考えの奴隷になることなく、そのしもべになることではなく、その考えに振り回されることではなく「考えの主人」になるということです。

OKですか? では、これで、考えの話は終わりにして・・・