感情が出てきたとき、その感情を見るためにわかりやすくさせようと思って、出てきた感情を大げさに表現して感情を見るようにしてみたんですけど、そうすると感情に巻き込まれて冷静に見ることができなくなってしまいます。ただ「見る」ということができないのですが、どうしたらいいでしょうか?

金の斧さん

だったら、こう考えてみたらどうでしょうか?

なぜ、私はいつも感情の終わり、感情の果て、最後の姿を見たいと思うのか、なぜ、その強烈な感覚というのを味わってみようと思うのか。出て来た感情をひとつひとつ解決しようと思わずに、その根っこを見てみたらどうでしょうか。

喜びであろうと、もどかしさであろうと、その喜びの終わり、もどかしさの果てがどういうものかを知りたいと思っている「私」。その根っこの「私」を見てるみることをしたらいいんじゃないでしょうか。

私がなぜ、こういった感情を味わおうと思っているんだろうか、というのが大事なのではなく、私はどうしてこういう方法を通して解決しようとしているのか、を見ることの方が大事です。

感情はどうせ、私をおもしろくさせるために湧き上がっているようなものです。感じれば、それでお終いです。ですから、どんな感情を味わうかというのが重要なのではなくて、なんでそういう方法を通して、その感情を感じようとしているのか、と見るのが、今のあなたにとっては重要なんじゃないかと思います。勇気を持って一度見てください。