夢ってわかったとき「むなしさ」は感じなかったんですか?

金の斧さん

人それぞれ感覚が違うようですけれど、私の場合はとても悲しかったです。その悲しさは、いまもまだ完全に解決できているわけではありません。まだその「夢のようなものだ」、そこから感じる悲しみを手放したくない私がいます。

この勉強を感情的な角度から接しようとすると、私の周りでは苦痛を感じながら勉強をする人が多かったです。理性的に接してみようとする人は、冷静に判断することもしやすいのでこの勉強をやりやすいという方が多かったです。「考え」という雲に引きずられて、しっかりと見ることができなくなっているだけです。

私がこの世の中が夢と同じだってわかったときに悲しみを感じた、と言ったのは、その夢から覚めてしまうのが「名残惜しい」「もったいない」っていう思いがあったからだと思います。

私が、格好よく着飾るために、どれほどの時間とお金を投資したでしょうか。 

現在の人生だけでなく、前世と呼ばれる何回も生まれ変わって来た人生の中でも、私は時間とお金と労力を費やして私を着飾らせていました。でも夢から覚めてしまったらそれがなくなる。

それは、夢から覚めたらこの肉体がなくなるっていうことではなくて、夢から覚めてしまったら、着飾るおもしろさ、楽しさを手放してしまわないといけないということが名残惜しかったんです。私は本当に、大事に大事に、自分をつくりあげ着飾らせたんですけど、そのおもしろさを手放すことがもったいなかったんだろうなって思います。見性するときも、実はそんな感覚があったんです。私はここに来る前に、私がしたいと思うこと、すべてやってみたんですよ。

そして、

ああ、死と直面している自分だ。 
ああ、今までの自分を全部手放さないといけない。 
死んだら何も持っていけないんだから、
死と直面している私なんだな。

いままで私が持っていた楽しみ、味わったこと全部、手放していかないといけないんだなっていう感覚になりました。で、実際に絶壁に登って、そこから飛び降りてみようと何度もしてみたんです。そのときは、ただ今持っている肉体的なものを全部捨てるぞ、と思ったにすぎないんですけど。肉体的なものを全部捨てたとしても「本当の私というものをわかってみたいんだ」という覚悟を持ったにすぎなかったんですけれど。

今はもう、この肉体的なものを捨てるっていうレベルではなくて、ああ、本当にすべてのものは消え去っていくんだなという、、今は絶壁のところに登っていくことさえ難しい、そんな感覚です。だから、ある面では、まだまだ、とてもおもしろいことを味わっているという感じです。