火山さん

キャンドルライトに入会して3?4ヶ月経った頃から、とにかく自分は印可が欲しいって強く思うようになったんだ。印可が欲しいって強く思ってたから、この次は誰が印可をもらうかな、メンバーのうちできっとあの人だろうって、次に印可をもらう人をだいたい当てるようになっていた。

そういう時期をすぎて、「私が考えの主人だ」って繰り返し言い続けたときがあったよ。でも仕事をしながらそういうことを自分に問い続けていたら、精神的にいやになっちゃったんだ。

またそういう時期をすぎて、たとえキャンドルライトの集まりに来なかったとしても、自分は働いて食べて、楽しく過ごしているじゃないか、こんなにも自分を苦しめなくても、自分は充分に楽に生きていけると思ったんだよ。キャンドルライトを脱退しても自分は楽に生きていけると思ったんだ。

キャンドルライトのインターネットのサイトに「脱退」できるボタンがあるんだけどね。で、その「脱退」のボタンを押す瞬間にね、その前にもう一回自分を見てみようと、ふと思ったんだ。どうして自分は、このキャンドルライトに入ろうと思ったんだろう、どうして悟ろうと思ったんだろうっていうふうに。そこを見てみたい、というところに変わったんだよ。 

悟りって、いったいなんだろう、なんで悟ろうと思ったんだろう、悟りを通して自分が欲しいと思っているものはなんなんだろうか。その問いを1ヶ月の間自分に問い続けた。問い続けながら瞑想して、また考えてウトウトしながら、とにかく1ヶ月の間、問い続けては居眠りということを繰り返していた。

その途中でね、師匠が僕に、ショートメールを送ってくれたんだよ。

「勇気を出して、爆発してごらん」 

っていうふうな、ショートメールを送ってもらったんだ。

そういうことがあって、印可をもらう2日前には、もうこの問いがわからないと自分は死んでしまいたいと思うくらいになっていた。1ヶ月の間、とにかく自分が抱えている「悟りってなんだ」「悟りを通して得たいと思っているのはなんだ」って問い続けていたんだけどわからなかったから、わからないから、もう死んでしまいたいと思うようになった。最後の頃には、4時間の間、集中して、自分にその問いを問い続けて、グルグルグルグル、自分の考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えというのを見ていた。 

それで4時間のうちの2時間ぐらい経ったときに、オショー・ラジニーシが「自由な人」と書いていた、その内容を思い出したんだ。で、その内容を思い出して、どうして、ラジニーシが、このことを強調したんだろうなということを、また考えてみた。

そのときに、自分は思い出したんだよ。中学2年生の頃、『イエス様の人生』という本を読んでとても感動したことを。そしてそのとき、自分もイエス様のように生きてみたいという思ったことを。自分の思考のパターンがそこにあったっていうことを思い出したんだよ。それで、そのときに、どこからかきた情報じゃなくて、自分の人生の中で、あ、あのとき、イエス様の本を読んで、自分もこういうふうに生きていきたいと思ったのが、自分の思考のパターンとなっていたというのを、本から得た知識ではなくて、自分がそれを見つけることができて、それですごくすっきりしたんだ。

ひとつすっきりしたら、ああ、なぜ自分は悟りたいと思っているのか、という質問に対しても、自分は答えを出していくことができて、とっても自分の中ですっきりした。

そういうことがあってからは、印可をもらっている人たちに「悟りってなんだい?」って、質問を投げかけられても、それまではいつもなにか、もどかしさを感じたり、自分はまだ足りないなって思いながら、答えてたんだけど、そういう質疑を投げかけられても、余裕を持って「わかんない」って言うことができるようになった。

それで、その次の日からは、津波が自分に押し寄せてくるような感覚だった。

禅で言う、公案、解かないといけない、問題。

自分がひっかかっていた、見つめてた問題がそのとき3つあったんだけど、これらの問題に対しては、はっきりとわからないといけないなって思ってた。ほんとにはっきりとわからないといけないぞって思った、その明け方に電話がきたんだ。

「印可が降りたよ」っていう電話だった。

               左が火山さん