火山さん

実はね、何日か前まで、僕は他の人と比べ続けてきたんだ。

「師匠はこうおっしゃるけど、自分はこうだ」
「他の人はこう言ってるけど、自分はこうだ」

というふうに、ずっと自分の中で比べ続けてきたんだよ、何日か前までは。比較っていうものが、自分にとっては一番の重石のようなものだった。

恥ずかしい話だけど、印可をもらって9年も経つのに、人との比較っていうのが、ずっと重石のように自分にあったんだよ。主人というのは、すべてのことをあるようにさせている存在というのに。だから、結局、自分の中で、矛盾を起こしていたということなんだ。主人でありながら、他の人と比較するから、他の存在をいつも自分の心の中に置いていた。

実体もなく、感じることさえもできないような、そういう内容を、自分は現実化させながら、自動車と戦闘機を比べるような、そんな感じでね。自動車と戦闘機は、全然違うものじゃないですか。比べる価値さえないと思うでしょ、使う分野が全然違うんだから。でも、全然違う分野のものを持ってきては、しょっちゅう比較しようとしてた。そういう自分であることを理解しようとしてたんだけど、ずいぶんと時間がかかっちゃったんだよね。

目に見える存在なんだって規定すると、問題が出てきて終わりがないよ。自分は、誰々だ、何々だって規定してしまうとね。「考えの主人」っていう言葉があるでしょ、「考えの主人」っていう、考えをつくるじゃないですか。考えをつくりだす者が、つくられた考えになることはできないよね。なんで、自分の中に考えを抱えてると思う?

 抱えているのが好きだから・・・・・・

火山さん

いま、推測でおっしゃったじゃないですか。推測じゃなくて、本当に心からすっきりするまで、突き詰めてみてください。

たとえてみるなら、これはミカンだ、そうだ、これはミカンだ、誰が見てもどう考えてもこれはミカンだって、堂々と言えることができるようになるくらい。はっきりと、堂々と言えるくらいにね。自分がわかっているなら、誰がどう言ってきても、堂々と反発することができるでしょ。

これは、ミカンだよ 

  ・・・ミカンかなぁ 

火山さん

あのさ、誰かが、不便なことを言ったとしても、それはいらないって言えばいいだけだからね。どうせミカンの抱えている問題は、ミカンの問題であって、自分の問題じゃないよ。