火山さん

人からきいた情報は、自分では確かめられないから、もどかしさが起こってくるんだよ。

じゃ、そのもどかしさを書いてみて、本当にそうなのか、なぜそうなのかということを突き詰めて、ああ、そうなのかとわかったならば、それは初めて自分のものになるでしょ。誰かが情報をくれて、こっちの耳から入ってきて、それを流すというのは、余裕のある状態だよ。

正直に自分を見るなら、なにか自分の中にもどかしさを見つけたとしたら、それに正面からぶち当たらないことは自分をだましていることになる。自分をだますんじゃなくて、一度掘ってみないといけないよ。

誰かが自分にどんなことを言ったとしても、笑いながら「そうじゃないよ、こうだ」って自信をもって、はっきり言えるくらいに、自分を一度分析してみたらいい。分析してみたところ、大したことじゃなかったんだ、ということがわかったら、どれほど軽くなるだろう。

結局そういったことは、ああ、大したことなかったんだ、とわかればこそだ。笑いながら、「それは大したことじゃないんだ」って、そう自信を持って言えるってことは、違う言葉で言ったら知恵深くなるってことじゃないかな。

自分の中に眠っている知恵を目覚めさせるということ、洞察とか思索をすることを通して、常識的に分析して、笑いながら流してください。

 はい、今度インターネットカフェに行ってみようと思います。

火山さん

ひとりになりたい時間があったら、ほんとに静かなところに行って、ひとりで考えてみたらいいよ。紙だけ持って、「なぜ、こうなんだ」って一言書いてね。僕は、もう、ネットカフェには行きませんから。無理やり自分が楽になろうとは思わずにね、楽になろうと思う必要はないんだ。

みんな、不便だから楽になりたいって思うじゃないか、不便さだけを消してしまえば、それで終わるんだけど、消し去らないで、重ねていくから、楽にならないといけないっていう、強迫観念みたいなところまで行っちゃう。

その不便さを、本当に消して行こうとするなら、自分の中に入っていって「ほんとにそうなのか」「これは自分にとってどんな価値があるものなのか」「自分の命を懸けるほどに価値のあるものなのか」、それを見てみたらいい。

不便さを積み重ねていけば、どういうところまでいくかというと、病気になって、うつ病になって、自分は死んでしまいたいってところまで、行くようになっちゃう。だから、ある感情が起ころうとしたら、そのときに自分にきいてみるんだ。

「この感情は本当に、自分の命を懸けるほどの価値があるものか」ってね。