この文章を書きながら、「体への愛」を始めた最初の日が思い出されます。

 裸になった体をあちらこちら触って、
 「愛している」と語りかけ、身の毛がよだったりもして、
 (アダルト動画の一場面でもあるまいし、いったい何をしているのだろうかと思って)

 そして2日程ほどか経って、私は私自らに驚いたのです。

 私が、私を撫でて私を愛するのに、
 こんなに不自然さと、ぎこちなさがあるということに・・・・

 誰かのために、誰かを愛して、誰かとスキンシップをするときには、
 胸をわくわくしてときめいて、喜んだのに・・・

 いざ、私が私のために、私を愛して、私を触るのに、
 込み上げてくるこんな気まずさがあるというのは、
 それほど私が私に関心がなかったという話になるじゃないですか。

 いつも私以外のものに視線を置いて、誰かにきちんと見られるために、
 あるいは印可を得るために考えて、行動して、管理する私が見えました。

 底の抜けた瓶(かめ)に水を注ぐように、相対的な不足と劣等感で、
 またはあらゆる望みで、ときには目標、希望という単語で、
 のべつ幕なしに前へのみ走るように、鞭を打っているのですね (T T) 。

 体はあらゆるストレスと過労で、慢性疲労に苦しんでいるんですね (T T)。

 本当に世の中にただ一つしかなく、世の中で唯一、私の思い通りにできる、
 私が願う現実的な望みを成してくれる、私の唯一のパートナー。

 そんな私の体に対して、あまりにも無関心でしたよ。

 すぐ傍の周りの人たちが私に対して無関心ならば、
 寂しかったり、癪にさわったりするのにね。

 私は私の体に、本当に純粋に、
 ほかの理由や望みなく関心を持ったことがなかったのです。

 いつも私の望みのために、苦しく辛くても、私の思い通りに動いてくれる私の体!

 どれほど感謝し、ありがたかったことか、本当にすまなくて申し訳なくて、
 シャワーをしている途中に、つい、ワアワア泣いてしまいました。

 生きて息をしているとき、大事にしてあげるべきですよね (^ ^)。

 では、今日からみなさんも私と一緒に、

 私が私を通して私を愛する、自分への愛を始めてごらんになりますか。

                         (ミルさんの講義テキストより)