ミルさん

では、見性について説明します。「見る」っていう字に、性質の「性」です。
見性とは、ある状態とか状況ではありません。

ある状況がずっと続いていくとか、ある状態がずっと続いているからといって、見性したということではありません。「私」はその状態の主人であり、その状況の主人である、ということがわかることが見性であって、状況や状態が、私を見性にまで導いてくれるのではありません。

楽な状態が続いていくとか、歓喜の状態がずっと続いていくとか、究極的に楽な状態、平安になった状態、そういった状況が私の目の前に繰り広げられていて、私がそういうことを味わっているからといって、それが見性ということではありません。 

ある神秘的な能力が生まれたから、それを体得したから、というのも見性したということではありません。すべての神秘的な能力や状況や、神秘的な状態の経験というのは、自覚をするための道具にしかすぎません。 

実際に私が、神秘的な能力を持っていたからといって、不慮の事故で私が植物人間になったり、痴呆になったりしたら、そういう能力はなんの力を発揮することもできないでしょう?

見性というのは、すべての現象の主人というのは、私なんだな、とわかること。
それが私の身体に染みつくほどわかるようになること。 

今、私たちが自然と息を吸ったり吐いたりするように、私が主人であることが、息をするくらい自然とわかるようになったとき、そのときが、(見性)というふうに表現できます。

ここで重要なのは、見性は、ある状況とか状態ではないのだということです。 

私に繰り広げられる、私が経験しているすべてのものの主人は、まさに私なんだなという確信、その確信と私が本当に一体となったとき、それが骨身に沁みてわかったとき、それを「見性」と言います。