ミルさん ここまでで、質問はありますか?

紅糸さん わかった「とき」に、印可が降りるんですか?

ミルさん

そういうときに近づいていくと、
「ああ、そのときだっていうことすら意味がないんだな」、
ということが感じられるようになります。 

そのときが近づいてくれば、悟りっていうのもどうでもよくなるし、
見性っていうのもどうでもよくなる、そういうふうになります。

言ってみれば、風みたいになっちゃう。 
わだかまりがない ひっかかりがなくなっちゃう。

かえって見性した後に、この社会の中で、人間的なモードで、
もっと大きい欲望とか、もっと大きくなった欲求を持って生きていく人もいます。 

外部から見たら、本当に変な人に見えるかもしれないですけれど、
その人の内面に入ってみれば、なんの問題もないっていうことです。

紅糸さん 

そういう状態の人は内側になにも問題がないので、
いろいろなことがスムーズに動いていくんですか?

ミルさん

そうではないです。 

本当に切実だったら、欲望はかなっていきます。
切実さが薄ければ成就しません、それは物質界の法則です。

印可者は、欲求や欲望を持って生活しますけど、
それが成就しないからといって、自分を苦しめたり、どうしてできないんだろうと、
もどかしく思ったり自責したりすることがない、ということです。 

表面的にはどう見えるかわからないけれど、
内面では成就したらいいし、ダメだったらそれでもいいやという。。

青糸さん 物事に対して期待があまりないんですか?

ミルさん

見性してから、ある欲求をつくって、欲望をつくって、
これは本当に私がしてみたい経験だとするなら成就できます。 
でも私の心の中で、できてもいいしできなくてもいいと思うなら成就されません。 

期待が大きいということと、切実だということは別です。

期待が大きいというのは考えだし、切実だというのは行動です。 

期待が大きいっていうのは、別の言葉で言ったら願いが大きいということです。 
願いが大きいという言葉は、私の中に不足感がいっぱいあるということです。
私の中にある不足感を満たしてみようという思いだけです。
期待は、不足しているという否定的なものを満たすために起こる「考え」です。 
それでは、成就できません。 

切実さというのは行動だ、というふうに言いました。
 
切実になれば、みなさんがこうして飛行機に乗って韓国に来られたように、
行動するようになるんです。 

それが、切実さがあなた方を自由にしますという言葉の意味です。
なぜなら、切実だったら、どんどん行動するようになるからです。

だから、みなさんの切実さの基準はとっても高いですよ、十分に切実ですよ。 

でも、私は本当に切実になっているのかなって思った瞬間に、
自分の視線が切実さというものに奪われます。

何かと自分を比べて、自分は切実じゃないんじゃないかってみなさん思うでしょ?

青松さん そこで、また外に向かってるんですね。

ミルさん

切実さに自分の視線が奪われて、その次の段階は、またその切実さに奪われた視線がまた外に、もっと切実になるためには、もっと別のところに行かないといけないんじゃないか、何かしないといけないんじゃないかって、もっと視線が外側に奪われていってしまう。 

私が切実さっていうものに視線を奪われちゃったな、ということをわかって、もう一度、視線を自分の中に戻してください。

これが、自覚を上手にする方法です。