青松さん 私自身深いところで、悟りというのは状態だと思っていたんです。 

ミルさん

見性した人でも、本当に怒りやすい人がいるんです。ある人は、夫婦ゲンカをしている最中に印可文が送られてきたり、ある人はカラオケに行ってそこにいる若い女の子たちとすごく楽しく狂ったように遊んでいるときに、印可文が送られてきたこともあります。ですから、状況や状態ではないということです。激しく夫婦ゲンカをやり合っているその人たちは、怒りの主人になっていたし、カラオケに行って遊んでいた人は、そこで、主人として十分に発揮していました。

私がこの話をするのは、これが悟りの状態だっていうものが自分の中で起こってきたとき、楽な状態や、静かな状態だけが、悟りの状態じゃないということをわかってもらうためです。みなさんに、悟りの状態というのはすごく静かで、すごく平安だっていう固定観念があるとしたならば、その固定観念を破るためにこういう話をしたんです。 

私が本当に悟ったとするならば、私はその悟りという枠から自由になっているはずでしょ。 

悟りという枠から自由になっているので、もうそれ以上、悟る必要がないっていうことです。

でもそれは、自分で経験してみないと、、お釈迦様は、経験してみたことのない人はわかることができない、というふうにおっしゃいました。老子は、道と言った途端に、それは道ではないんだ、というふうにおっしゃいました。 

「私は悟った」と思ったその瞬間、それは悟ったことではありません、 
「悟り」という、その状態に陥っちゃったということです。

青松さん 私はそれを体験したんですね、うっかり外に向かってしまいました。