ミルさん

「考え」と「自覚」が5対5になるまでは、起こった考えを見ている愚かな人の立場です。5対5になるまでは、起こっている自分の考えに振り回されているんです。

でも、5対5までにならなくても、とにかく自覚の力が増えてきたら、「自覚という考え」で、私のつくった考えを見なくても、自動システムが回るようになります。 

本当の意味での自覚っていうのは、自動システムができてから発揮されてくるものです。 

そのときまでは、自覚をスムーズにするために、自動システムをつくっている段階なのです。

5対5までにならなくても、シーソーが釣り合うぐらいになってくれば、自覚の力が大きくなったので、私がいつも見よう見ようとしなくても、自動的に見るということが、自動システムによってなされるようになってきます。

これを、もう少しわかりやすく話してみますね。 

さっき、青糸さんがうなずいたでしょ、で、いま、自分がうなずかせたなって思う。あ、自分がいまこういうことをしているんだなと思って、いま自分がしていることを確認するじゃないですか。間にひとつ、考えが挟まるっているんです。あ、うなづいてるなっていう考えがひとつあって、行動がでる。

でも、シーソーが5対5で、かなり均衡を保てるようになったころには、うなづいた瞬間に、あ、私うなづいてるなと、うなずいているのは誰だ、とか、私だ、とかが必要なくなるんです。

いま私がこれこれをしているな、というのは、私が、そういうふうな考えを起こして確認しないと、私の視線がいつもいつも外にいっちゃうので、その視線をもう一度自分の中に戻してくるための練習方法にすぎない、手段にすぎないんです。私がしているということがわかるという目的さえ果たせば、手段はまったく必要じゃないんです。