師匠

みなさんの中に、こういうことを言う人がいます。
私が「なぜ、センターに来ないんだい?」というふうに聞いたら、

 「師匠、正直に申し上げるなら、私はいま、不平不満はないんです。
  私は生きていくうえで、とても余裕があるし、困っていることとか、
  せっぱ詰まっている状態でもないのに、そういった私が、
  この自覚の勉強をするというのは、なんだかとても腑に落ちない、
  贅沢なような気がするんです」

というふうに言った弟子の方がいました。そう言って、その人はもう来なくなりましたよ。

では、果たたして、その人が感じていた平和、平安さというのはいったい何だったでしょうか?その人は本当に幸福だったんでしょうか?もちろん、夫もいたでしょうし、両親も子供もいたでしょうよ。そして子供たちも本当に立派に育ち、立派に暮らしていて、自分の体も健康であったとして、、、でも、それが果たして永遠に続くでしょうか?

 私は今、取り立てて困っていることがないし幸福だ。
 困っていることがないから自覚の勉強をする必要はない。

というふうに思っていますけれど、

でもそう言って、子供たちが、突然、私の元から去るかもしれないし、また、私が突然、子供たちのところから去らないといけないかもしれないし、健康だと思っているこの体も、いつ、どこが病気になるかわかりませんよ。そういうふうに見たとき、その人の感じている幸福というのを、いったいどういうふうに見たらいいのか、いったいなんなのか・・・

それは、ただ平穏無事に、ただ無難に、ただなにか大きな事故がなく生きているということ、大きな試練もなく、大きな病気もなく、大きな痛みもないときに、その人は幸せだと感じていたということなんです。

けれども、その人が感じていた、大きな試練はない、大きな病気にはならない、大きな痛みはない、そういう状況が永遠に続くでしょうか?そうではないでしょ?