師匠

いまみなさんが、不平不満を持っていたとしても、それは後で解消されますよ。

でも、後から解消されたといっても、自分が何かをたくさん手にしていたとしても、
手にしていることでまたストレスが起きてきます。

 私はお金を持つことができても、〇〇を持つことができなかった。
 私はお金よりも、こっちの方がもっとしたかった、欲しかった。

と言うならば、
次の生では、お金ではなく、またそのことを手にするための「生」が始まるんです。

私がいつも話すように、みなさんがいま〇〇がないというふうに思うのは、
昔、以前にみなさんがそれをたくさん持ってきてみたことがあるからなんですよ。

また、いま私は、他の人に比べてたくさん持っている、という状態なのは、
以前、私がたくさん持ったことのない経験をしたからなんです。

こういった問題は、いくらでもみなさんが、
選択してつくり出すことのできる問題だと言うんです。

でも、そういうふうに創造されたもの、願ったらそれを手にすることのできるもの、
そういったものたちが大事なのではなくて、
誰がそれをつくっているか、誰が選択しているかということなんです。
誰がそういったことを願っているのか、ということなんです。

  「私」が願っている
  なぜ願っているのか?
  私が不平不満を感じているから、そういうことを願っているんだ。
  じゃあ、誰が不平不満を感じるのか?
  「私」が不平不満を感じている。
  私はなぜ不平不満を感じるのか?
  他の人と比べるからそうなんだ。
  私はなぜいつも他の人と比べないといけないんだろうか?
  私自身をわかることができずにいるからじゃないか!

この人生というものは、私が生きるものですよ。
私の幸福、私の自由というものは、私自らが「創造」していくものですよ。

こういった言葉は、言葉らしく聞こえないですね、
表現するのがもどかしいんですよ。