師匠

私はこないだ、弟子の玄卯(げんみょう)さんと、公開的なところで一緒に話をしました。
それは玄卯さんに特別な才能があったからというわけではありません。

彼はいままでの人生の中で、いろいろな考えを頭の上に乗せてきました。重く重く乗せてきた弟子だったんです。「道というのはこうであって、境地というのはこうであって」というふうに。そういった分野に対しては本を書くことができるほどの内容を持っているはずです。ある境地とはこういうものだ、ということに関してはね。

でも、その彼はある瞬間、その境地というものはすべて私が作り出したものなんだということを自覚を通してわかったんです。「ああ、これは本当に雲のようなものなんだ」というふうに。そのことを彼は悟ったんですよ。それでとっても軽くなったんです。

でも、彼からも学ぶべきところはないですよ。彼はよく会費を払わないでしょ。
未練も多いし、原始的なスタイルで生きている人です。学ぶべき点はひとつもないです。
怠け者だし、こぎれいにするわけでもないし、会費は出さないし、未開の国に住んでいるような人ですよ。

でも、それにも関わらず、私がみなさんに、ちょっと見るべきところがあると言って紹介するのは、自分の意識をそういうふうに、、ある面で言ったら、何の考えもなくただ生きてるっていうふうに見えるかもしれませんけど、でも彼自身はこういった心の勉強に対して、とても重い深刻さを持っていたんです。でも、あるときから、その深刻さから本当に軽くなったんです。

ですから、勉強の核心はここですよ。
みなさんは自由にならないといけない。
軽くならないといけない、そうでしょ?

みなさんはもともと自由な人なのに、どうして自由になることができませんか?

自分の本性が自由だっていうことがわかったならば、自分の周りに起こっている不自由ささえも楽しむことができてこそ自由ですよ。不自由さを楽しんで、受け入れて、楽しむことができてこそ、自由なんです。

生きていく重さから抜け出して、心の勉強に対する重さからも抜け出して。

ホームズ委員長や玄卯のように、私の言っていること、私の教えをそういうふうに実体化している人はいません。実際はとても知恵深いです。
それほどまでに自分の重さを持っていない人たちです。

ある弟子がいました。その弟子もとてもたくさんの重さを持っていましたけど、あるときその重さをなくしました。その重さから自由になりました。でも、人がだんだん集まってきたのを見て、自分もなにか頭の上に重さを持っていないといけないようだ、というふうに思って、また重さを自分の頭の上に乗せ始めました。

「こうあるべきだ、ああ、あるべきだ」「ああ、自分はこういうふうな能力がないといけない、師匠にはこういうふうな姿を見せないといけない」というふうにね。

結局その人は、今までより、もっとたくさんの重さを頭の上に乗せて沈んでいます。

「ああ、こういったことを悟って、こういった師匠の立場にならないといけない」「こういうふうに教えないといけない」といって、その考えを頭の上に乗せるというのは、本当に愚かなことです。それは再び自分の頭の上に重さを乗っけているということですよ。

ですから、ホームズ委員長と玄卯、あの二人から学ぶべき点はないんですけれど、もう一度言いますが、あの二人からみなさん学ぶべきところはないですよ。
結局あの二人は、自分のことしかわからない利己的な人達ですし、食べることしか知らない人たちですけれど、原始的なスタイルの人ですけれど、でも意識はとても自由だし、とても知恵深い人たちだというんです。

なぜなら、考えの重さを持っていないから。

ですから、みなさんがいま持っている、なんてことのない、こうしなければならない、ああしなければいけないという考えの重さ、考えの埃のようなものから、解放されて自由になりなさいというんです。