アンさん 
 
自分の中では、彼(玄卯さん)のことをすごく認めているんです。ある意味私より、遥か上を行っていると思っています、そんな上とか下とかの問題じゃないんですけれど。それだけ自分が可愛がっているというか。
 
メンバー アンさんが認めていらっしゃるところは、どういうところですか?
 
玄卯さん 胃腸が大きいこと、いっぱい食べれるとこ。
 
アンさん 
 
胃が偉大なんですよ。自分が認めているところは、彼の場合すごく率直なんです。飾ったりするところがないので、彼から学んだことも多いんです。
 
リボンさん 
 
質問してもいいですか?
なにか切実さがあってこそ、こういう修行ができると言いますけど、とりわけ何かきっかけがあって、幽体離脱とか心を楽にする修行とかに邁進するようになったんですか?
 
玄卯さん 
 
小学生のときに、父兄が先生に賄賂をあげないと子供をいじめるという、そういうことがあったんです。
両親が担任の先生に賄賂をあげなかったおかげで、私は先生からいじめられてトイレの掃除を一年間やるはめになったんです。それで、その時間をどう過ごせばいいのかということを悩み始めたんです。

そこで時間をつぶすために本を読むことを趣味にしたんです。
その学年が終わって担任の先生が新しく変わったら、その先生が、前の担任の先生と一緒になって自分をいじめてた子供たちに仕返しをしてくれたので、その経験はそれで終わったんですけれど、でも本を読むのは習慣になっていて、それからも中毒みたいに本を読みあさるようになったんです。
 
そして小学校を卒業するあたりでは、頭の中でいろいろな本の内容がぶつかり合うようになっていったんです。哲学の本なんかも読んでいて、結局、それらの本の内容は別々の結論を出しているわけです。同じ主題に対しても違う結論を出しているので、そのうち自分は何をすればいいのかわからない状態になったんです。
 
中学時代は、なにがなんだかわからない状態になっていたから、すべてに対して疑うしかなくなっていったんです。学校で習う勉強も「これ本当に合っているのか?」と疑うようになっていましたし、いろんな本を読んで得た知識も「え?これは単なる情報にすぎないのに、これが果たして真理なのか?」と、すべてに対して疑って、そういうのが頭から離れなくなったんです。

それですごいストレスを受けたんです。ストレスを受ける中でも、これらのすべての知識を統合できるような「知恵」が必ずあるだろうと、そういう思いもあったんです。
 
そのとき流行った小説があるんですけど、それが「丹」という本で、そこから始めて、中学の時から気功とかをやっていたんです。中国の本家の気功術とかもいろいろ探して、学んで、で、高校時代に、なにかひとつ自分の中で整理されて、成り立ったものががひとつできあがったんです。
 
最初にゲート師匠のことは友達のアンさんを通じて知るようになったんです。
実際、師匠に会うまでは詐欺師としか思っていなかったんですけど。
 
で、結局「切実さ」がどこから来たのか?という質問ですけど、それは小さいころのトラウマですね、トラウマから始まって、で、それが一転して、すべてのことを疑って、どこか定まらなくなったストレスから切実さが生まれた、という話です。そのときの苦痛というのは、自分が生きているかどうかも分からないくらいでした。
 
アンさん 中学時代から、彼のことは可哀そうだと思っていたんですよ。
 
玄卯さん 
 
私の切実さは「苦しみから逃れたい」という、その思いが強かったんです。
そのときは息をすることすら大変だったんです。
 
メンバー 気功をやっていて、苦痛が解放されることはなかったんですか?
 
玄卯さん 
 
少しだけ。気功の訓練は中学時代に一生懸命やって、高校時代にはあきらめてたんです。そうしたら少し楽になりました。でも少しですね。
根本的に楽になったわけではなかった。本当に平安を得たのは、印可をもらってからなんです。
 
メンバー 気功も結局、平安を得ようとしてされてたんですか?
 
玄卯さん
 
そうです。瞑想をし続ける中で、少しずつなんですけれど、洞察が起きてきたんです。その洞察によって、少しずつは解決されていったんです。でも根本が解決されたわけではなくて、その周辺のことは整理できたんです。