ある印可者さん 
 
 この勉強は、ある美しいストーリーをつくっていくとかとは、関係ないです。 
 
 現在に生きる多くの人たちは、私たちより、もっと一生懸命生きている人たちがいます。 
 私たちより、もっと幸福になっている人たちもいます。
 
 ロトに当っている人もいますし、
 一生懸命仕事をして、お金をたくさん稼いでる人もいますよ。
 また、その反対の人もいます。
 天才もいますし、バカもいます。
 
 だけども、彼らは、地震とか病気とか、そういったもので、ここから去っていきます。 
 
 もしも、あるストーリーが、ある理解が、ある正解があるとしたなら、
 彼らは、またここに来る必要もないはずです。
 
 大事なのは、ストーリーじゃないんです。
 
 お釈迦様もイエス様も、私たちが経験しているこの時代を生きてはいません。
 
 生きる必要も感じていません。
 今の時代が生み出した思考、そういったものを必要としていない。
 
 これは、時代を超越しています。
 
 これは、私は誰であるのか?に対しての、自分自身が、自分自身に対する理解。
 
 その理解は、自分自身と対話をすればわかります。
 とても明瞭で、消されることもない、それはなんだろう?
 
 それは、私は、どんな考えでも自分で選択することができる。
 
 大部分の人たちは、考えと心を認識するとはいうけれど、
 ほとんど自動的にプログラムされた、セッティングされた通りに考えを起こしています。
 そしてそのことを、自分が「認識した」というふうに考えているにすぎません。
 ほとんど、すべての人が。
 
 けれど、この心の勉強をすれば、
 「考え」をいまこの瞬間、スッカラカンにすることもできるし、
 考えを起こさないでいることもできるし、一瞬にして怒りに変えることが出来る。
 
 なにかを願うということも、願わないということも、みんな自分で選ぶことができる。
 
 それで、お釈迦様とかイエス様は、他の経験を必要としないんですよ。
 なぜなら、自分の中に、そういった気になることも、欲望もなかったからです。
 
 けれど、それも、関係ありません。
 すべて私が選択していて、繰り広げているからです。
 
 それをお話ししたかったんです。