創造主だということを理解してなにかが変わるでしょうか?
なんで、こういう場面が広がったんだろうということなんですけれど、それは、知らないことを選択したからなんです。私たちは、未来のことは知らないと選択しているんです。私たちが、肉体の経験を選んでいるのはそれなんです。わかりきったことを経験するためにここに来ているわけではないんです。全部わかりきった上で、私たちは選択しているわけではないんです。いらないことも私たちは受け入れて、だから楽しんでいるんです。
なので、創造主というのは、すべてをわかってそれを選択するのが創造主ではないんです。
すべてをわかるしかないというのは、不自由なことなんですよ。

どんな思考でも構わないんですけど、思考そのものの主人になればいいんです。
思考は自由に使っていけばいいんです。その意識をはっきりすることです。
だから、創造主だというのも、結局みなさんが思った概念なんです。
本当の創造主は、みなさんを見れば、そこにあるんですよ。

他に創造主があるとしたら、今のみなさんは創造主じゃないということでしょうか?
でも、今のみなさんの個性がいろんなものを作っているじゃないですか。
結局、みなさんが考えを作って、その個性がそれを動かして、経験をつくっているじゃないですか。
それが創造主の行いなんです。

ですから、どんな経験も結局、なんでそれが起きたのかわからないとしても、その経験もやっぱりみなさんが作った経験なんです。それは、論理で考えることじゃなくて、実際にそうだという話なんです。

これはちょっと極端な話なんですけれど、みなさんが、絶対にこれは経験したくないと思っていらっしゃるならば、その経験は、みなさんが命を絶つことで、その経験はなくなるんです。
創造主の私としては、そういう選択もできるんだという話なんです。

実際にすごく嫌な場面を見て、そこから逃れたいという思いから、死んでしまう人もいるわけです。
ですから、いろんな選択の中で、私はこれを経験する選択をしているというその意識であって、創造主の観点、また、その概念に囚われることではないんです。

いろんなことに対処する中では、こうすれば別の道が開かれたんじゃないかとか、それを振り返って邂逅するとか、そういうことはいいんですけれど、すべてがわからないと創造主じゃないんだという、それは、みなさんのまったくもって概念なんです。

みなさんの観点からは、質問があって当然なんです。
それが全部見える観点もあるんですけれど、まずは、今のみなさんの観点を理解することです。
どの観点をとっても、結局わからないことは出てくるんですけど。相対的にわからないことが多い、あるいは少ないという、それだけなんで。だから、わかる観点に行くことではなくて、今の私はわからない観点を使っているんだ、という意識を持つことです。