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101キャンドルライト(株)では、韓国の悟りのマスター マスター・ゲート氏が提唱する「一切唯心造」「自覚」をキーワードに、感情や考えを作り出している「私」を見て、すべては私の心持ちにかかっており、すべては私の中にあることを学んでいます。
2022-05-04T22:42:53+09:00
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https://101candle.jp/column-145.htm
心持ち
2023-09-20T22:42:53+09:00
2022-05-04T22:42:53+09:00
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今よりもっと大きな心を持ってみてください今よりもっと遠大な心を持ってみてください今よりもっと開かれた心を持ってみてください今よりもっと丸い心を持ってみてください今よりもっと明るい心を持ってみてください今よりもっと寛大な心を持ってみてください今よりもっと慈愛ある心を持ってみてください今よりもっと細やかな心を持ってみてください今よりもっと温和な心を持ってみてください今よりもっと柔和な心を持ってみてください今よりもっと気高い心を持ってみてください今よりもっと謙虚な心を持ってみてください今よりもっとへりくだった心を持ってみてください今よりもっと超然とした心を持ってみてください今よりもっと感謝の心を持ってみてください今よりもっとありがたい心を持ってみてくださいこのような心について瞑想してみてください美しい心が美しい人々を作ります(こちらの文章は2022年4月25日に書かれたものです)
https://101candle.jp/column-144.htm
自覚 一発
2021-12-14T16:15:09+09:00
2021-12-14T16:15:09+09:00
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私たちが使う言葉の中で、「じっくり考えてみる」という言葉があります。熟考してみる、すなわち長く考えてみる ということです。現実生活でこのような言葉は、深く考えて賢いアイデアを出したり賢明な判断を出すために努力してみるという趣旨で受け入れられます。もちろん、長く考えたからといって 長考したからといって、必ずしも良い判断と決定が出るわけではありません。時にはいろいろな状況 つまり周りの状況を考慮するために、やむを得ず時間が必要になることもあります。けれども、それさえも時間が解決してくれるのではありません。結局正しい決定は、常に人の心にかかっているものであるからです。異見があっても、互いに譲歩し 互いに理解し 互いに協力すれば、問題が生じる理由がありません。ただ勉強においては長く考えてみる、長考は必要ありません。「頓悟(悟り)を得るために漸修(修行)をしなければならない」とんでもないことです。勉強は、考えて お休みになって、なるものではありません。勉強には悩みは必要ありません。全ては私の心持ちにかかっているという、一切唯心造の自覚 一つさえあればいいのです。そのために不断の自覚をしなければならない?到底 話になりません。悟りを得るための努力... これも笑わせる言葉です。執着 愛着 未練が、そのような理由 言い訳 弁明の過程を作り出すのです。「人生は一発逆転」という言葉があります。そうです。 「自覚は一発逆転」です。直指人心(じきしにんしん) 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)を指すものです。直指人心 私を見れば、解答は出てきます。愛着し 執着し 未練の多い私のしっぽを見れば、答えを得られるというのです。そうするために努力しなければならない?皆さん。 それがみな、愛着で執着で未練で無知だと気づくのに、努力が必要でしょうか。とんでもないことです。これ以上、言い訳と弁明は要りません。自覚 一発、です!(こちらの文章は2021年11月11日に書かれたものです)
https://101candle.jp/column-143.htm
孔子の教訓
2021-12-14T16:13:25+09:00
2021-03-01T16:13:25+09:00
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顔回は学ぶことが好きで、品性も善く、孔子のお気に入りの弟子の一人でした。ある日、孔子のお使いで市場に立ち寄ったのですが、ある呉服店の前にたくさんの人が集まっていてうるさいので、何事かと近づいて見てみると店主と客が言い争っているのでした。事情はと云うと、呉服を買いに来た客が大声で「3×8は明らかに23なのに、あんたはなぜ、私に24元を要求するのかってんだよ。」一言で言うと、客のごり押しでした。顔回はこの言葉を聞いたとたん、その客に、まず丁重に挨拶をした後、「3×8は明らかに24ですのに、どうして23なのですか。 あなたが間違って計算したのです。」と言いました。呉服買いに来た人は顔回の鼻を指して「誰が、お前に出てきて調べ正せと言ったんだ。見たところ孔子の弟子のようだが、道理を評価しようと言うなら、よし、孔子さまの所に行こう。正しいか間違っているかは、あのお方だけが正確な判断を下すことができるだろうよ。」「いいですよ。では、もし孔子が、あなたの負けだと言われたら、どうしますか。」「そしたら私の首を差し出すよ。ところでお前は、どうするんだ。」「私が間違ったら、冠を差し出しましょう?!」 二人は賭けをして、孔子のもとを訪れました。孔子は事の顛末(てんまつ)をみな聞いてから、顔回に笑いながら「お前が負けたから、この人に冠を外して差し出しなさい。」顔回は師匠の指示に従って、素直に冠を外して、呉服を買いに来た人に与えました。その人は、意気揚々と冠を受け取って帰っていきました。顔回は孔子の判定に対し、うわべには表せなかったのですが、心の中では到底理解することができませんでした。彼は自分の師匠が、もうあまりにも年老いて愚昧なので、もはや学ぶものはないと思いました。翌日顔回は、実家の事情を言い訳にして、孔子に「故郷にしばらく行ってきたい」と要請しました。孔子は何も言わずに、頷きながら許可しました。旅立つ直前に、孔子に別れの挨拶をしに行ったのですが、孔子は「家の事が片付いたら、すぐさま戻って来るように。」念を押しながら、顔回に二つの忠告をしてくれました。「千年古樹莫存身」、「殺人不明勿動手」。顔回は別れの挨拶をした後、実家に向かって走っている途中、道で突然、雷の音と稲妻を伴った大きなにわか雨に遭ってしばらく雨を避けようと、急いで道端のひねこびた古木の下に飛び込もうとしたのですが、その瞬間、師匠の最初の一言である、「千年古樹莫存身、千年経った木に体を隠すな」という言葉が思い浮かびました。それでも今までの師弟の情を考えて、「彼がしてくれた忠告なんだから、一度くらいは聞いてあげなくちゃ。」と思って、そこを再び飛び出したのですが、まさにその瞬間に稲妻が光って雷が落ち、古木は粉々になってしまったのです。顔回は驚きを禁じえずに、心の中で考えました。「師匠の一番目の言葉は的中したが、だったら、二番目の忠告によると、まさか私が殺人をすると言うのか。」しばらく走って家に到着したのですが、すでに遅く、深夜でした。彼は家の中に入り、刀剣で、妻が寝ている寝室の取っ手を静かに開けました。暗い寝室の中を手探りでゆっくり触ってみると、なんと寝台の上に二人が寝ているではないか!その瞬間腹が立って、剣を抜いて振り下ろそうとした途端、孔子がした二番目の忠告が思い出されたのです。「殺人不明勿動手。 はっきりしない場合は、むやみに人を殺すな。」急いでろうそくを点けて見たら、寝台の上の片方は妻であり、またもう片方は自分の妹が寝ていたのでした。顔回は次の日、夜が明けるやいなや孔子の元に戻って、師匠に会った途端にひざまずき、言った言葉は「師匠が忠告してくださった二つの言葉のおかげで、私と私の妻と妹は生き延びました。どうやって事前に、そんな事が起こり得るというのをご存知だったのですか。」孔子は顔回の体を起こしながら、曰く「昨日は天気が乾燥して蒸し暑く、雷が大きな木に落ちる可能性が多分にあったし、君は憤慨した心で、また刀剣を持って出発したので、そんな状況を前もって予測することができたのだ。」孔子が続けて言う事には「実は私は、既に全てを知っていたよ。お前が家に帰ったのは、ただの言い訳であり、私があんな判定を下したことについて、私はあまりにも年老いて事理の判断がはっきりできずもうこれ以上学びたくなかったので、旅立ったのではないか。けれども、一度よく考えてみよ。私が3×8=23が正しいと言えば、お前が負けて、ただ冠一つを差し出すだけだが、もしも私が3×8=24が正しいと言ったら、その人は、一つの命を差し出さなければならなかった。顔回や、答えてみよ。 冠がもっと大切か。人の命がもっと大切か。」顔回はようやく理知を悟り、孔子の前にドシンと再びひざまずいて、大きく敬拝を捧げながら言いました。「お恥ずかしい限りです。師匠の、大義を重要視して取るに足りない小さな是非を無視する、その度量と知恵に敬服するばかりです。」それ以降、孔子が行く所で顔回は、彼の師匠の側を離れたことがありませんでした。私たちは一生を生きていきながら、ある時には、私たちがこだわる、いわゆる自分が正しいと思う道を前面に押し出して、相手に無理やり勝ちもするでしょうが、それにより、最も大切なものを失うことになるかもしれません。万事に軽重緩急があるというもの… 何の意味もない体面、論争、争議、憤怒、憤慨のために生涯後悔しても取り返しのつかないことを、絶対に犯してはならないのです。(こちらの文章は2018年2月10日に書かれたものです)
https://101candle.jp/column-142.htm
松の教訓
2021-01-13T11:34:31+09:00
2021-01-13T11:34:31+09:00
101CandlelightInc.
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松の種が、二つありました。一つは岩の隙間に落ちて、もう一つは土の中に埋まりました。土の中に落ちた松の種は、すぐさま芽を出してすくすく育ちました。しかし岩の隙間に落ちた種は、少しずつしか育つことができませんでした。土の中で育っている松が、言いました。「私をごらん。 私はこんなに大きく育ったというのに、君はどうして、そんなふうに少ししか育てないんだい。」岩の隙間の松は、何も言わずに、深く深く根を下ろすことばかりしていました。ところがある日、雨風が吹きつけました。 台風でした。山の上に立っていた木々は、引き抜けて折れていました。その時、岩の隙間で育った松は屈せず立っていたのですが、土の中にいた木は引き抜かれ倒れてしまいました。私たちの住む世の中は、土の中と同じです。自由があって、できることが多く、楽しめるものがたくさんのように見えますがある一瞬に雨風が吹きつけ、あげくに台風のような試練が迫ると、根っこごと引き抜けてしまう、風前の灯火が集まって暮らしている所です。これに反して出家の人生は、範囲があって制限があり、節制がある閉じこめられた生活に見えたとしてもそのような暮らしの中で自分を顧みることができ、自分について省察することができる、私の根を深く下ろせるようになる人生です。そうして、いかなる混乱と試練の風が吹いて来ても、屈せずに自分自身を守って持ちこたえることができるのです。たとえ現在の私の状況が、肉体の出家を許さなかったとしても私たちはみな、必ず心の出家をして、あの哀れな土の中の木々の身の上になっては、いけないはずなのです。(こちらの文章は2018年1月16日に書かれたものです)
https://101candle.jp/column-141.htm
瞬間から永遠へ
2023-09-16T22:27:04+09:00
2020-11-14T22:27:04+09:00
Shin Jong Hyun
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真っ暗な夜空に花火が弾けます。空へ立ち上った火花は、強烈な光を発散しながら四方に広がって色とりどりに夜空に刺繍を入れたような素敵な光景を演出します。まさにみなさんから自覚が起こる時、見られる霊的な姿です。この自覚の火光は数千、数万キロ離れたところからでも見え地球の外からも見えて、他の太陽、他の宇宙からも見えるのです。「人は花より美しい」という歌の題名があります。そうです。人から自覚が起こる時その人は世の中で最も美しい人間の姿に見えるのです。花よりも美しく、世の中のどんなものよりも美しいのです。私は実は、貴方がたから悟りに対する答えを願ったのではありません。答えは貴方がたから見いだすことができるのです。なぜなら 私 という存在自体がすでに真実であり、答えであるためです。いかなる疑問を作り出して、いかなる答えが出てきても疑問の内容が重要なのではなく、答えの内容が重要なのでもありません。そのような疑問と答えを生み出している主体が、まさに私だ、という自覚が重要なのです。ありがたいことに貴方がたは大切な自覚の機会を持ちました。私自らで眠りから早く覚める、意義深い時間が来ました。自覚はずっと持続されねばなりません。瞬間から永遠へ……(こちらの文章は2015年8月7日に書かれたものです)