天国 | 101candlelight

天国

2020年4月30日
天国とはどんな所でしょうか。そこは、何らかの特定の空間や場所ではありません。天国は、特別な世界でも世の中でもありません。天国は、人の心の中にある所です。ですから心の中に天国がある人は、どこへ行っても天国です。心の中の天国とは、心の状態を物語っています。どんな心でしょうか。静けさ、静寂、そして平静の心です。それは、心の純粋な状態です。特別に、私が何らかの心を持とうと努力することもない本来の私の心、純粋な本来の私の心です。けれども人々は、私のそんな純粋な心を、多くのものでいっぱいにしておきます。持っていると思っている人たちは、傲慢、 うぬぼれ、 我執、 執着 
そんな心をいっぱい入れておき持てていないと思っている人たちは、劣等感、 慚愧(ざんき)感、 不足感、 比較 
そのような心をいっぱい入れておくのです。「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るようなものだ。」とイエスさまはおっしゃいましたが持っている者も持てていない者も、私たちは皆そのような心らであふれた、天国行きが難しい金持ちであるのです。かつてお釈迦さまの頃に、一人の金持ちがいました。女性で、王妃の身分であり、才色兼備の美人でした。誰であっても、王妃の美しさを見た人々はうっとりとし、彼女自身も美しさに自負心を感じていました。彼女の父君である王は、お釈迦さまに竹林精舎を建てて布施したビンビサーラ王でした。彼女も早くからお釈迦さまの名声を聞いてはいましたがお釈迦さまはいつも肉体的美しさの無常さを指摘する法文(ほうもん)をなさるという話を聞いたので、彼女は自分も非難されるかと恐れて、決してお釈迦さまに会いに行きませんでした。そんな彼女がある日の朝、侍女たちを連れて鬱蒼とした竹林の中に位置する竹林精舎へ散歩に出かけました。竹林精舎の林の中を歩いた王妃は、折から説法堂の方から聞こえてくる澄んで朗朗とした声に我知らず心が引かれ、そちらへ向かいました。法文をなさっていたお釈迦さまは、王妃が説法堂に入るのを見て、神通力で、十六歳ほどのまぶしいほどに麗しい少女の形状をお作りになりその少女に扇であおがせるようになさいました。説法堂の裏側で息を殺して説法を聞いていた王妃は、突然現われた麗しい少女を見た瞬間彼女の美しさによって息が止まりそうで、一瞬も彼女のきれいな姿態から目を離すことができませんでした。.
「あ! 私の美しさは、とてもあの天上の少女のような麗しさの比ではないな!」しばらくうっとりと少女を眺めていた王妃は、すぐさま腰を抜かすほどに驚きました。その美しかった少女の瑞々しい若さが、あっという間に萎えてしまったのです。少女の体は一瞬にして八十歳もの年を取った老人の体に変わり、とうとうその老人は法堂の床に力なく倒れてしまいました。続いて王妃は、その老女が苦しげに息を引き取り、皮だけ残った体躯が悪臭を放って腐り、最後には白骨だけが残る光景を、驚きの中で見守ったのです。そしてそのような光景を見守った王妃は自分の体躯もその女人のように、いつかは死んで腐ってなくなってしまうだろうという自覚が湧きました。その全ての光景を見守っているうちに、人間の美しさがどれほど儚いものかを知った彼女は、この肉体とそれに執着する人生は絶対に永遠ではあり得ないのだという悟りが起きたのです。お釈迦さまの弟子の中で最も早く悟りに到達した弟子はお釈迦さまの10大弟子でもなく20大弟子でもなく100大弟子でもない、まさにこの麗しい王妃が、その主人公です。彼女の完全な悟りが短期間に成し遂げられた点は、何を示唆しているでしょうか。「直指人心 見性成仏(じきしにんしん けんしょうじょうぶつ)」

まさに私に対する洞察、私の心に対する洞察にあるのです。(この文章は2019年12月29日に書かれたものです。)

更新日: 2020-04-30