小犬と骨 | 101CandlelightInc.

小犬と骨

1999年11月30日
欲張りな小犬が骨をくわえて橋を渡りながら

橋の下に、自分と同じように骨をくわえている別の小犬を見つけます。
水に映った自分の姿を、別の小犬だと錯覚したのです。

欲張りな小犬の目に映った別の小犬の骨は、自分のよりもっと大きく見えます。
妬ましくなった欲張りな小犬は、橋の下にいる小犬に向かってワンワンと吠えます。

自分がくわえていた骨さえなくしてしまった瞬間です。
今の私が手にしている物がないならば、過去の私は多くの物を手にしてみた人でした。

もしも今の私が多くの物を手にしているなら、過去の私は手にした物がそれほどなかった人でした。
過去の私が多くの物を手にしてみたので、今の私は持つ物がない人になったのであり

過去の私が多くの物を手にできなかったので、今の私は多くの物を持った人になるのです。
私の心はこのように、時計の振り子のように動くのです。

心が一方に傾くと、たちまち別の方向へと心を追い立てて行きます。
多くの物を手にした私は、いっとき豊かさに留まっていても、

再び、所有に対する虚しさと倦怠を感ずるようになり、何も持たない環境を作って、

何も持たない私は、いっとき貧しさに留まっていても、

再び、所有に対する願望と欲望を持つようになり、多くを手にする環境を作ります。
このように、自分の環境に嫌気がさせば、相対する環境を、また再び作って経験すること

これが、私が今まで経てきた輪廻の実体だったのです。
なければ持つために、なくせば得るためにあがきますが

これを持ったら別の物にまた欲を出し、別の物を持てばそれに嫌気がさすという、

私の心が欲張りの小犬の心だったためです。
まだ、今の私は不足で、不満足で、十分ではなく、不幸だと思うのですか?
そうして、橋の下に映った私の姿を他人の姿だと錯覚して、その虚像を追いかけているのですか?
もしもそうなら、私は、大切な私の「今」さえなくしてしまう欲深い小犬の人生を送ってしまうでしょう。
私の心を自覚して、その心の主人である私を自覚して、感謝する「今」を生きていくこと、

これが、本当に人間らしく生きる道です。

更新日: 2013-06-12 15:56:00