ここに、一人の人が絶壁に立っています。
彼の目の前にあるのは、下が見えない高い高い断崖であり
どうしてもこれ以上は進めない、刃物のような狭い地の上に
彼は立っています。
いつなんどき、足を滑らせて墜落するかも知れず・・・・
いつ、風に飛ばされるかも知れません。
その狭苦しい所に、自分だけ一人でいるのでもありません。
また、そこにどれほど留まりたいと言っても、運命という力によって
彼は、いつかは落ちなければなりません。
彼はなぜ、そんな索莫とした所にいるのでしょうか?
誰が彼をそこに留まるようにしたでしょうか?
運命でしょうか・・・・・「神」でしょうか?..............................................................................?
どこの誰でもありません。
それはほかでもない、「自我」という狭苦しい位置を選んだ私の自由です。
それはまさに、皆さんの選択だったのです。
皆さんの本質は自由です。
皆さん?
思うがままにしてください!
しかし、これだけは忘れないでください!
自由が皆さんの本当の主人になるべきだということを・・・・・・
瞑想をします・・・・注視者になります・・・・観照者になります・・・・
瞑想する者がいて、注視する者がいて、観照する者がいます。
しかし彼らは、また、誰でしょうか?
誰が彼らを存在させるのでしょうか?........................................
それもまた、皆さんの自由であるのです。
自由が瞑想をさせ、自由が注視をさせ、
自由が観照をさせるのです。
そこの主人もやはり「自由」であるのです。
皆さん?
全てのことの主人になりましょう!
そうなるために自由人になりましょう!
全てのことを存在させ、全てのことになることができ
全ての選択権を持つ・・・・・・
そうして、全てのことから自由でいられるしかない
偉大な「神」の姿が、まさに皆さん!
あなたの姿なのです。
更新日:
2013-06-12 15:59:17