幼い頃、世の中にたくさんの宝物があると聞きました。
数多くの話の中のとりどりの宝物・・・けれどもなぜか、世俗的な宝物には関心がなかったです。神仙・・・道術・・・得道・・・悟り・・・仏
そんな雲をつかむような宝物に、心惹かれました。宝物のメニューは、実に様々でした。
過去に、そのような精神的で霊的な宝物探査隊を
買って出たことがあったのですが・・・まるで考古学者みたいだったのです・・・全国各地にある山をくまなく回り、宝物を捜し歩いて・・・・
そうして、時にはかなりの時間、その宝物にどっぷり陶酔してみもして・・・
その宝物の価値に対し、鑑定書も書いてみて・・・・そのようにして長い年月、最も貴重な宝物を探しあぐねた果てに
ある日、とても魅力的な宝物に導かれました。それは一名、悟りと仏と呼ばれる宝物だったのですが・・・
この宝物の魅力として、宝物を探そうとする心を捨ててこそ
その宝物を得ることができるという、訝かしい過程が待っていましたそれでなのか、その過程は、私には本当に苦しい
旅程だったようです。なぜなら私には、この宝物が、最も初めに最も簡単に会うことができた
あまりにもしがなく平凡に思われたものだったからです。それは宝物と呼ぶことにすら値しないものだと思いました。
それで当然 、それを無視するようになり、これ以上
他の何かを探せない時になって初めて、その宝物の前に近づくようになったのです。そして・・・・・宝石箱を開いてしまった瞬間・・・・・
あまりにもあきれた虚妄さに・・・・
なんの考えもできませんでした。そこには私が願った何ものも、存在しなかったためです。
とことん騙されたという思いが、かすめて通り過ぎました。ところがこれはどうしたことでしょう?しばらく失望した後、妙な幸福感が押し寄せ始めました。
それまでは、幸福とは何かを得てこそ感じられるものだと
考えていました・・・けれどもこのように、すべてのものを皆失ってしまったと
思った瞬間、私はその妙な幸福の中に陥って、消えていき
ただ幸福だけが存在する世界にいるようになったのです。考えを休む静けさと静寂の中に、です。皆さん?
外部から得られるすべての宝物は
本当の宝物ではないのです。それは宝物を装った蜃気楼であるだけです。
何かがなされたわけではなかったために、しばらくの間、悟りと仏に対しても
疑って、限りなく失望しました。けれども我に返って、すぐに幸福を探しました。
我に返ってみると、宝物も・・仏も・・悟りも・・幸福も・・失望も
すべて皆、私の中にあったからです。そして本当にそうだからです。皆さん?さあ速く、宝物を探して幸福の中に浸ってみてください。
皆さんの心の中で、ということです・・・
更新日:
2013-06-26 20:47:07