立体映画 | 101CandlelightInc.

立体映画

1999年11月30日
久しぶりに、また会うことになった・・・・そして私の思い出がともに詰まっている記録「エメラルド・タブレット」を見た、その日の夜、久しぶりに、しばらく、覚醒された意識(幽体離脱)に留まっていました。いつもそうであるように、私は、この状態に長く留まっていることを、決して願いません。 そこはすなわち、解脱の世界であるためです。多くの方々において、この状態は神秘と驚異の対象になるでしょうが・・・・それはまだ、不自由で制限された肉体世界のもどかしい欲求と倦怠が渇望している、叫びに過ぎません。しばらくの間、肉体の死を追いかけるほどに脱力した状態でも何かを探してみて、経験してみようと、急いたことがあったでしょう・・その度に、肉体に私をあまりにも同一視したために、肉体状態でも その肉体の習慣によって、並ではない困難を経験するときが一度や二度ではありませんでした。すなわち、肉体状態で幽体離脱をすれば、こんなこと、あんなことを探ってみなければならないと決心して・・・・あちらこちら、いえ、宇宙のあの遠くまでも行ってみようと、固く決心をしますが、それはあまりにも素朴な肉体状態の、虚しい欲に過ぎません。いざ、覚醒された意識状態になれば、この世界は、あまりにも空しい立体映画、それ以上のものではないためです。皆さんたちの中でも、見られたことがおありになるはずです・・・・・立体映画平面のスクリーンに立体映像を投射させて、立体メガネによって突出した視覚効果を得られるようにする立体映画のことです。立体映画を見る中で、私たちは3次元の現実を見て、感じますが・・・そのとき見ている場面は、すべて立体映像に過ぎないという事実を、常に知覚しています。同じように、覚醒された意識状態で、私たちが現実だとわきまえているこの世界は、立体映像、それ以上のものではありません。覚醒された意識は、現実空間のどんなところをも透過することができ無視することができます。私たちが経験している、そのどんな具体性も、覚醒された意識には障害になりえません。すべての存在の世界が、光で掘り起こした一時的な光の集中に過ぎないということを、徹底的に認識しているためです。多くの人が、それほど身にしみて凄絶な環境に身もだえするとしても、冷静な目に見えるのは、空しい映像の寄り集まりがあるだけです。掴まえられない蜃気楼の世界で、掴まえたと感じている蜃気楼の感情によって、休む間もなく乱舞する、また別の蜃気楼の残滓たち・・・そして、その足跡たち・・・・そのすべてのものが、一場春夢の世界だというのです。皆さんたちの今の考え・・・欲求・・・・欲望の基盤であるこの物質世界が、あまりにも空しい蜃気楼の世界に見えるところそこがまさに、覚醒意識の世界・・・・ほんとうの幽体離脱で経験する物質世界の実状です。宇宙も・・・・・あの星と・・・・・私も・・・・・ただ、すべてが蜃気楼に過ぎないのです。夢の中で、一生懸命、夢の中に忠実だったことたち、覚めてみれば、空しい虚脱感に襲われるように・・・・皆さんたちの生の夢(この世)も、死の夢(あの世)も、すべて幻だという真実を受け入れる世界が、まさに、その世界であるのです。

更新日: 2013-01-15 17:02:27