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ここになぜ来たのか

2017年8月6日
教会や聖堂に行って、お釈迦さまを褒め称え、念仏を唱える人がいたら
寺へ行き、神さまイエスさまを探し、讃美歌を歌う人がいたら 私たちはそんな人を指して
「突飛な所で、見当違いなことをしている」と言います。いるべき所にいることも重要だけど
するべき所に行ってするべき事をするのも大事なことです。私がこの世に生まれたには
当然、この世に生まれた理由があるのです。 であるなら、私はその理由を知るために努力するべきで
その理由を必ず知らねばならずその理由を知ったなら
この世に生まれて何をするべきかを明確に認識して
そのように生きていかなければはなりません。しかしほとんどの人は
このような根本的な、自分の存在に関する理解、人生の趣旨について
全く関心がありません。

人々にとっての主な関心事は
ひたすら動物的な生存に執着する全てに過ぎないのです。 どれほどあきれて不可思議な、この現実でしょうか。誕生と死を、対岸の火事のように見ています。
それらの事は、自分とは全く無関係かのように生きています。 全ての人が、このように
突飛な行為や見当違いなことをしながら生きています。現在の私において
何が最も正しい思考であり、何が正しい理由でしょうか。
何が最も正しい行為であり、何が正しい行動でしょうか。これについて、あえて説明をしなくとも
みなよく知っているはずです。マトリックスで、預言者オラクルはネオにこう言うでしょう。 「あなたは選択しようとしてここへ来たんじゃないわ。
あなたはすでに、選択をしたんだから。あなたがここに来たのは
なぜその選択をしたのかを知ろうとしてなのよ」。(この文章は2015年1月08日に書かれたものです)

更新日: 2017-08-06