使徒たちがイエスさまに私たちに信仰をもっとくださいと、言ったときイエスさまは言いました。「あなたがたの信仰が
芥子種一粒ほどあっても桑の木に根こそぎ抜かれて
海に植わりなさい!
と言えばその木が
あなたがたに
従うでしょう。」本格的に伝道を始めた
その当時‥イエスさまの歳は
30代初めにすぎませんでした。このような若い歳で
すでにその方の教えは
究極に達していたのです。弟子たちは
このように証言しています。主のお言葉は火のようで
(Words like a fire)……信仰とはなんでしょうか。受け入れることです。何を受け入れるのでしょうか。私が私の現実を
創造しているという事実を受け入れるのです。これがまさに
私の能力です。この能力を得るために他の努力を
しなければならない
のではありません。私はこの能力を
すでに
賦与されたからです。そんな私は私自身の能力を
信じさえすれば
いいのです。今まで
私が願うところを
得ることができなかったわけは私自身が心の中でそんなことは
起こり難いそんなことは
起こるはずがないと信じたためです。私たちは数千年もの間そのように学んできたし
そのように理解していました。けれども私には
こんな力もないし
あんな能力もない人間だと規定してもそれは私たちが社会によって
洗脳されただけであって
真実ではありません。真実は…現在わかっている私より百万倍、千万倍もっと強くて知恵に溢れ偉大な存在が私でありそうならざるを得ないという事実です。わかろうとすれば世の中のすべての事を
みなわかることができ得ようとすれば世の中のすべてのものを
得ることのできる存在がまさに私です。私がするべきことはただひたすらそんな私を認めて
信ずることです。これから近づく
未来の世の中は、現実が
私を作る
受動的な生の方式から
脱皮して私が
現実を創造する
能動的な生の方式へ徐々に
変わっていくことでしょう。私たちが
現在している自覚が近づく世の中の
母体となり中心になるはずです。後の日私たちみなは
自覚の先駆者として
残るようになるでしょう。(こちらの文章は 2013年05月15日に書かれたものです)
更新日:
2018-04-23