投稿日:2018年4月23日
最終更新日:2018年4月23日

お言葉は火のようで・・・

使徒たちがイエスさまに

私たちに信仰をもっとください

と、言ったとき

イエスさまは言いました。

「あなたがたの信仰が
芥子種一粒ほどあっても

桑の木に

根こそぎ抜かれて
海に植わりなさい!
と言えば

その木が
あなたがたに
従うでしょう。」

本格的に伝道を始めた
その当時‥

イエスさまの歳は
30代初めにすぎませんでした。

このような若い歳で
すでにその方の教えは
究極に達していたのです。

弟子たちは
このように証言しています。

主のお言葉は火のようで
(Words like a fire)……

信仰とはなんでしょうか。

受け入れることです。

何を受け入れるのでしょうか。

私が私の現実を
創造している

という事実を

受け入れるのです。

これがまさに
私の能力です。

この能力を得るために

他の努力を
しなければならない
のではありません。

私はこの能力を
すでに
賦与されたからです。

そんな私は

私自身の能力を
信じさえすれば
いいのです。

今まで
私が願うところを
得ることができなかったわけは

私自身が心の中で

そんなことは
起こり難い

そんなことは
起こるはずがない

と信じたためです。

私たちは数千年もの間

そのように学んできたし
そのように理解していました。

けれども

私には
こんな力もないし
あんな能力もない人間だ

と規定しても

それは

私たちが社会によって
洗脳されただけであって
真実ではありません。

真実は…

現在わかっている私より

百万倍、千万倍

もっと強くて知恵に溢れ

偉大な存在が私であり

そうならざるを得ない

という事実です。

わかろうとすれば

世の中のすべての事を
みなわかることができ

得ようとすれば

世の中のすべてのものを
得ることのできる存在が

まさに私です。

私がするべきことは

ただひたすら

そんな私を

認めて
信ずることです。

これから近づく
未来の世の中は、

現実が
私を作る
受動的な生の方式から
脱皮して

私が
現実を創造する
能動的な生の方式へ

徐々に
変わっていくことでしょう。

私たちが
現在している自覚が

近づく世の中の
母体となり

中心になるはずです。

後の日

私たちみなは
自覚の先駆者として
残るようになるでしょう。

(こちらの文章は 2013年05月15日に書かれたものです)