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孔子の教訓

2021年3月1日
顔回は学ぶことが好きで、品性も善く、孔子のお気に入りの弟子の一人でした。ある日、孔子のお使いで市場に立ち寄ったのですが、ある呉服店の前にたくさんの人が集まっていてうるさいので、何事かと近づいて見てみると店主と客が言い争っているのでした。事情はと云うと、呉服を買いに来た客が大声で「3×8は明らかに23なのに、あんたはなぜ、私に24元を要求するのかってんだよ。」一言で言うと、客のごり押しでした。顔回はこの言葉を聞いたとたん、その客に、まず丁重に挨拶をした後、
「3×8は明らかに24ですのに、どうして23なのですか。 あなたが間違って計算したのです。」と言いました。呉服買いに来た人は顔回の鼻を指して「誰が、お前に出てきて調べ正せと言ったんだ。見たところ孔子の弟子のようだが、道理を評価しようと言うなら、よし、孔子さまの所に行こう。正しいか間違っているかは、あのお方だけが正確な判断を下すことができるだろうよ。」「いいですよ。では、もし孔子が、あなたの負けだと言われたら、どうしますか。」「そしたら私の首を差し出すよ。ところでお前は、どうするんだ。」「私が間違ったら、冠を差し出しましょう?!」 二人は賭けをして、孔子のもとを訪れました。孔子は事の顛末(てんまつ)をみな聞いてから、顔回に笑いながら「お前が負けたから、この人に冠を外して差し出しなさい。」顔回は師匠の指示に従って、素直に冠を外して、呉服を買いに来た人に与えました。その人は、意気揚々と冠を受け取って帰っていきました。顔回は孔子の判定に対し、うわべには表せなかったのですが、心の中では到底理解することができませんでした。彼は自分の師匠が、もうあまりにも年老いて愚昧なので、もはや学ぶものはないと思いました。翌日顔回は、実家の事情を言い訳にして、孔子に「故郷にしばらく行ってきたい」と要請しました。孔子は何も言わずに、頷きながら許可しました。旅立つ直前に、孔子に別れの挨拶をしに行ったのですが、孔子は「家の事が片付いたら、すぐさま戻って来るように。」念を押しながら、顔回に二つの忠告をしてくれました。「千年古樹莫存身」、「殺人不明勿動手」。顔回は別れの挨拶をした後、実家に向かって走っている途中、道で突然、雷の音と稲妻を伴った大きなにわか雨に遭ってしばらく雨を避けようと、急いで道端のひねこびた古木の下に飛び込もうとしたのですが、その瞬間、師匠の最初の一言である、「千年古樹莫存身、千年経った木に体を隠すな」という言葉が思い浮かびました。それでも今までの師弟の情を考えて、「彼がしてくれた忠告なんだから、一度くらいは聞いてあげなくちゃ。」と思って、そこを再び飛び出したのですが、まさにその瞬間に稲妻が光って雷が落ち、古木は粉々になってしまったのです。顔回は驚きを禁じえずに、心の中で考えました。「師匠の一番目の言葉は的中したが、だったら、二番目の忠告によると、まさか私が殺人をすると言うのか。」しばらく走って家に到着したのですが、すでに遅く、深夜でした。彼は家の中に入り、刀剣で、妻が寝ている寝室の取っ手を静かに開けました。暗い寝室の中を手探りでゆっくり触ってみると、なんと寝台の上に二人が寝ているではないか!その瞬間腹が立って、剣を抜いて振り下ろそうとした途端、孔子がした二番目の忠告が思い出されたのです。「殺人不明勿動手。 はっきりしない場合は、むやみに人を殺すな。」急いでろうそくを点けて見たら、寝台の上の片方は妻であり、またもう片方は自分の妹が寝ていたのでした。顔回は次の日、夜が明けるやいなや孔子の元に戻って、師匠に会った途端にひざまずき、言った言葉は「師匠が忠告してくださった二つの言葉のおかげで、私と私の妻と妹は生き延びました。どうやって事前に、そんな事が起こり得るというのをご存知だったのですか。」孔子は顔回の体を起こしながら、曰く「昨日は天気が乾燥して蒸し暑く、雷が大きな木に落ちる可能性が多分にあったし、君は憤慨した心で、また刀剣を持って出発したので、そんな状況を前もって予測することができたのだ。」孔子が続けて言う事には「実は私は、既に全てを知っていたよ。お前が家に帰ったのは、ただの言い訳であり、私があんな判定を下したことについて、私はあまりにも年老いて事理の判断がはっきりできずもうこれ以上学びたくなかったので、旅立ったのではないか。けれども、一度よく考えてみよ。私が3×8=23が正しいと言えば、お前が負けて、ただ冠一つを差し出すだけだが、もしも私が3×8=24が正しいと言ったら、その人は、一つの命を差し出さなければならなかった。顔回や、答えてみよ。 冠がもっと大切か。人の命がもっと大切か。」顔回はようやく理知を悟り、孔子の前にドシンと再びひざまずいて、大きく敬拝を捧げながら言いました。「お恥ずかしい限りです。師匠の、大義を重要視して取るに足りない小さな是非を無視する、その度量と知恵に敬服するばかりです。」それ以降、孔子が行く所で顔回は、彼の師匠の側を離れたことがありませんでした。私たちは一生を生きていきながら、ある時には、私たちがこだわる、いわゆる自分が正しいと思う道を前面に押し出して、相手に無理やり勝ちもするでしょうが、それにより、最も大切なものを失うことになるかもしれません。万事に軽重緩急があるというもの… 何の意味もない体面、論争、争議、憤怒、憤慨のために生涯後悔しても取り返しのつかないことを、絶対に犯してはならないのです。(こちらの文章は2018年2月10日に書かれたものです)

更新日: 2021-03-01