今回のメルマガは明眞(みょうしん)が担当させていただきます。
数ヶ月前から始まった、マスターゲート師匠の講話をご紹介するシリーズです。
今回は、2014年に会員の掲示板に揚げられた講話をお届けします。
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現在の私が、不満足を感じて不幸だと思うのは
私がすなわち、自覚のない無意識の状態の生を生きているということを意味するものです。
言い換えれば私たちは、自分が何をやっているか、何を考えて、感じているのか、自覚できないので不幸だというのです。
どこに行っても、絶えず自覚する習慣をつけてみてください。
日常で仕事をする時も、絶えず自覚してみてください。
食べる時、食べている自分を自覚してみて、歩く時、歩いている自分を自覚してみて、
聞いて話す時、聞いて話している私自身を自覚して、怒る時も怒っている私を自覚します。
憤怒が起きたまさにその瞬間、自分が激昂していることを見抜くのです。
瞬間瞬間こんなふうに目覚めていようと努力をする時、私の中に中心が徐々に現れ始めて
すべてのことが透明に見え、水晶のように澄んでいくようになります。
自覚が私の意識の中心に、すっくと座を占めるようになるのです。
私は自覚体になるのであり、
自覚体になる時、私は、私自身はもちろん世の中に対するすべての理解と許容と包容を得るようになります。
そしてその時がまさに、私自身についての完璧な自由を満喫するようになる時でもあります。
自覚は私を、真の自由に至るようにします。
*自覚とは、自分の内面を見て、感情や思考を創り出している「私」を自覚し、すべては私次第であり、すべては私の中にあると理解すること。
「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」仏教用語
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以上、一部をご紹介させていただきました。
私は、マスターゲート師の教えにふれる前は、この世界こそが真実であり、現実だと思っていました。
しかし、自覚(自分の思考を見る)を続けていくと、真実だと思っていたことは自分の思考のフィルターを通して見た世界でした。
母親は意地が悪い。
(私がそう考えていただけだった。)
この世界は苦しい、つらい。
(私がそう考えていたから苦しかった。)
私は病弱だ。
(私がそう考えていたから病気がちだった。)
自覚を続けてこれまで創ってきた思考に気づいていくと、自分を不自由にしてきたのは自分の考えだったことに気がつきます。
そして、自分はこんなにも自由だったのかと、自覚を教えてくださったマスターゲート師に深く感謝の思いです。
マスターゲート師の文章の一部はこちらからお読みいただけます。
(一般の方のために選定した文章です。順不同)
http://101candle.jp/column_list.php
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
配信日:2019年8月30日