翼を失くした天使

2018年5月22日
言いたいことを言い尽くそうとしたら
海の水を墨にして書いたとしても(海墨寫而)
書き尽くせない(不尽)*

海水で墨をすって文を書いたとしても
言いたいことを言い尽くすことはできない
という言葉です

最近の私の心情です
言いたいことは実に多いのですが
私はいざ言葉を出そうとすると
これが引っかかり あれが引っかかって

顔色をうかがって言いたいことをみな言わない
小心な面があります
みなさんはこの言葉が信じられないでしょう. . .^^
しかし 事実です



その昔 釈迦牟尼仏は
有縁衆生(うえんしゅじょう)
という言葉を使われました

現在 あなたと会っている弟子たちは
昔 別の仏さまや菩薩と深い因縁を結んだことのある衆生

すなわち 仏道に縁が有ったので
釈迦牟尼仏を信じる衆生になったというお言葉です


原因による結果
それでお釈迦さまは縁起の法について
幾度となく格別な強調をなさったのです

言い換えれば
悟りのために現在の出会いを成している
この縁を大切にするべきだということです



ここに来るまでの過程は
決して容易ではありませんでした

かつては王としても生き 平民としても生き
お金持ちとしても暮らして 乞食としても暮らしました

悪い人としても生き 善い人としても生きました
有識な人としても暮らし 無識な人として暮らしました

他人を害した殺人者でも生きてみて
他人に殺される被害者でも生きてみました

男は女として 女は男として暮らしてみました

このような無数の人生の役割を生きあさったあげく
ようやく 私の役割ではなく
私自身に目を開けることになったのです


今のみなさんは
このように困難な旅程を経過し
ついに悟りと向き合う
大切な「私」へと至るようになったのに

今ここで自分の本性を見つけられず
また再び役割の人生に陥って魂を奪われてしまうなら
こんなにもやるせなく不合理で不幸なことがあるでしょうか


もうこれ以上

「翼を失くした天使」は出てほしくないです




*註
鏡虚禅師の書かれた『参禅曲』の最後の部分
「参禅」とは禅の道に入って修行すること また座禅を組むこと





(こちらの文章は2017年1月3日に書かれたものです)

更新日: 2018-05-22