閉じる

荘子の逸話

荘子の逸話

1999年11月30日
ある日、荘子の友、恵子(ケイシ)が訪ねてきて、
荘子と一緒に会話を交わすうち、

荘子に対して、「君は無用なことばかり言っている。」
と攻撃をします。

すると、荘子が恵子に言い返します。

「君は、真の無用について知っているか?
私が、話を一つ、してみよう。

或る人がこの地に立って、自分の足元の地だけが有用で、
他の地は無用だと言ったとしよう。

それで他の無用の地を、全て掘り出してしまったら、
その人はどうなるだろうか?

おそらくその人の足元の地は、切り立った崖に囲まれた山頂になってしまうだろう。
すると彼が、次に踏み出せるところはどこになろう?

恵子よ。
君の言う無用とは、その実、この地のごとく、
有用のために使われるものなのだよ。」

人には、それぞれの観点と見解が存在します。

そしてお互いに意見が対立したり、意義を唱えて論争になったりして、
反目と妬みが生まれたりします。

しかし、そうした論争の裏側には、
私の考えだけが正しくて、私の行動だけが正しいという
利己的な心が潜んでいます。

他人を配慮できず、他人の考えを受容できない
閉鎖的な心がうずくまっているのです。

このような人は、まるで、荘子の逸話の
「自分の足元の地だけが有用だと主張する人」と同じです。

或る人は愚かで、或る人は賢明だろうが
或る人は愚鈍で、或る人は賢かろうが、
或る人は馬鹿で、或る人は天才だろうが、
それは、自分の踏み込んでいる足跡に過ぎないのです。

愚かな人は、愚かな位置にいるだけであり、
賢明な人は、賢明な位置にいるだけです。
愚鈍な人は、愚鈍な位置にいるだけで、
賢い人は、賢い位置にいます
馬鹿な人は、馬鹿な位置にいて、
天才は、天才の位置にいるのです。

或る足跡や位置に、真理が在るわけではなく、
或る足跡や位置に、真実が在るわけではありません。

それら全ての足跡や位置は
私の経験に過ぎなく、私の選択に過ぎません。

その位置に立ち止まることもでき、
どんな形の足跡も残せる私。

私こそが、正に真実で真理なのです。

ですから…

世の中のすべての人が、真実であり
世の中のすべての人が、真理なのです。

更新日: 2013-01-15 17:34:03