宝探し

1999年11月30日
幼い頃、世の中にたくさんの宝物があると聞きました。
数多くの話の中のとりどりの宝物・・・

けれどもなぜか、世俗的な宝物には関心がなかったです。

神仙・・・道術・・・得道・・・悟り・・・仏
そんな雲をつかむような宝物に、心惹かれました。

宝物のメニューは、実に様々でした。
過去に、そのような精神的で霊的な宝物探査隊を
買って出たことがあったのですが・・・まるで考古学者みたいだったのです・・・

全国各地にある山をくまなく回り、宝物を捜し歩いて・・・・
そうして、時にはかなりの時間、その宝物にどっぷり陶酔してみもして・・・
その宝物の価値に対し、鑑定書も書いてみて・・・・

そのようにして長い年月、最も貴重な宝物を探しあぐねた果てに
ある日、とても魅力的な宝物に導かれました。

それは一名、悟りと仏と呼ばれる宝物だったのですが・・・
この宝物の魅力として、宝物を探そうとする心を捨ててこそ
その宝物を得ることができるという、訝かしい過程が待っていました

それでなのか、その過程は、私には本当に苦しい
旅程だったようです。

なぜなら私には、この宝物が、最も初めに最も簡単に会うことができた
あまりにもしがなく平凡に思われたものだったからです。

それは宝物と呼ぶことにすら値しないものだと思いました。
それで当然 、それを無視するようになり、これ以上
他の何かを探せない時になって初めて、その宝物の前に近づくようになったのです。

そして・・・・・宝石箱を開いてしまった瞬間・・・・・
あまりにもあきれた虚妄さに・・・・
なんの考えもできませんでした。

そこには私が願った何ものも、存在しなかったためです。
とことん騙されたという思いが、かすめて通り過ぎました。

ところがこれはどうしたことでしょう?

しばらく失望した後、妙な幸福感が押し寄せ始めました。
それまでは、幸福とは何かを得てこそ感じられるものだと
考えていました・・・けれどもこのように、すべてのものを皆失ってしまったと
思った瞬間、私はその妙な幸福の中に陥って、消えていき
ただ幸福だけが存在する世界にいるようになったのです。

考えを休む静けさと静寂の中に、です。

皆さん〜
外部から得られるすべての宝物は
本当の宝物ではないのです。

それは宝物を装った蜃気楼であるだけです。
何かがなされたわけではなかったために、しばらくの間、悟りと仏に対しても
疑って、限りなく失望しました。

けれども我に返って、すぐに幸福を探しました。
我に返ってみると、宝物も・・仏も・・悟りも・・幸福も・・失望も
すべて皆、私の中にあったからです。

そして本当にそうだからです。

皆さん〜

さあ速く、宝物を探して幸福の中に浸ってみてください。
皆さんの心の中で、ということです・・・

更新日: 2013-06-26 20:47:07