私の心の遣い方

2016年1月7日
法句経に『お香を包んだ紙からはお香の匂いがして
魚を包んだ紙からは生臭い匂いがする』という言葉があります。


これへの解説は、「いい友達と付き合うべきだ、という意味の比喩である」となっていますが
『自灯明法灯明を亀鑑として私自身を磨くべし』という仏法の趣旨に照らしてみると、

この比喩は友達に関する内容というよりは
「私の心の遣い方が、そのまま外へ現れる」という点を指摘しているとの、
私たち自身についての話に相違ありません。


花はそれぞれ、特有の香りがします。


たとえ目には美しく見えても、全く香りのしない花があり
香りがあるといっても、むかつくような匂いを漂わす花もあります。


これとは対照的に、目には地味に見えても人を酔わせる濃い香りを発散する花もあります。

花にはこのように、花体臭があります。

人も同じです。
体から出る臭いがあるように、心から出る匂いもあります。

私たちは体から出る匂いは鼻で嗅ぐことができ、心から出る匂いは感覚で知ることができます。



心に欲の多い人は、他の人を不便にして不安にします。

他の人に負担を与えて深刻さを与え、恐れを誘発させてストレスを与えます。

これはその人の心から出る匂いが、他の人に伝わるためです。



いくら言葉ではもっともらしいことを言ったとしても、私自身は自由で楽だと言っても、それは外見にすぎず
自分の内面から吹き出てくる悪臭は、隠すことができません。

心に私心のない人は、他の人を楽にしてくれます。


敢えて難しい言葉を言わなくとも、人々はその人の考えに同化されるし、
その人の心を読むことができるし、感ずることができます。


ぜなら彼はあるがままの真実を伝えるだけで、言葉と考えで隠しているものがないからです。

決して難しい話も深刻な話も、しないのです。



心は感じることもできるし、見ることもできます。

心は感じられもするし、見られもします。

心は偽ることができません。

心は、他の思いで欺くこともできないのです。


私の心の現住所、私の意識の現住所、私の考えの現住所を見る自覚が
それで、さらに大切なのです。

更新日: 2016-01-07