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現実での自覚

現実での自覚

2017年7月17日
過去の歴史を振り返ってみれば


人類は数々の国家間の戦争、同族 や部族間の内戦に苦しんできました。
一日たりとも平安のない、葛藤と反目の時間の連続だったことでしょう。


ところが、このような悲劇の内幕をよく見ると、そこにはいつも
大義名分で偽装した稚拙な感情の中に、争いの発端がありました。


皇帝にせよ王にせよ、大統領にせよ集団のリーダーにせよ、人々を導く位置にある
彼らの高慢と独善が、こうした災いを呼び起こす火種となっていたのです。


そしてこれに伴う作用による反作用、反発、復讐、復讐の復讐 . . .
これらは間もなく、闘争・争い・戦争・破滅の径路を辿って . . .



ここに勝者は、誰もいません。


ひたすら自分の考えと感情の深い沼に陥り、しきりにもがいている
哀れな衆生がいるだけです。


けれどもこうした事件の本質を直視できない群衆はつられて付和雷同し
世論は沸騰してメディアは煽り立て、よって社会は混乱に陥るのです。



「クジラの喧嘩でエビの背が裂ける(訳注1)」という言葉がありますが
クジラどころかサッパ(訳注2) の頭よりもけちくさい了見の
偏狭な心の所有者の争いで、罪もない国民の背が裂けるという恰好です。


現在の時局を見ても言えることです。


「分別のない蝶が花火を貪り、自分が死ぬのもわからずにいる」
という言葉があります。蝶は自分が焼け死ぬとも知らずに、花火に近づきます。



ここで象徴している、花火とは何でしょうか。


花火とは、単純な欲求や欲望といった意味ではありません。
それは憤怒であるかもしれないし、誤った信念、定義を装った名分であるかもしれません。



「自分がすべての考えと感情を引き起こしている」
という自覚ができないままに、考えと感情に押し流されて行動することは
花火に近づいていくことと同じです。


自覚をせずに行動することは、分別のないあの蝶と同じなのです。
現実での自覚が、これまでのいつの時よりも切実なこの頃です。





訳注1:「強いもの同士の争いに、弱いものが巻き添えをくって被害を受ける」
訳注2:10〜20センチほどのニシン科の魚






この文章は(201年11月25日に書かれたものです)

更新日: 2017-07-17