投稿日:2017年8月21日
最終更新日:2017年8月21日

神の恵沢

私たちは今まで生きてきながら、多くのことを経験しました。

良いことも悪いことも経験してみたし、嬉しいことも悲しいことも経験してみました。
そして、病気の経験もしてみました。

過去にお釈迦さまは、人生を称して苦だ、と言いました。

人間は百年生きたとしても、病気の日と寝ている時間と心配気がかりをしている時間をみな除くと
たった四十年しか生きられないのが、人生なのだと言いました。

今朝までの健康な体が夕方に重い病気にかかって、
明日の命をも断言できないのが、私たちの人生だと言いました。

私たちの親しい日本道伴だったテディは、突然倒れてこの世を去り
私たちにいつも明るい笑顔を見せてくれた超然(最近乳がんで亡くなった、40代の韓国道伴さん)は
長年の持病に苦労したあげく、私たちの側を旅立って行きました。

世の中で病気にかかったことのない人は、いません。
したがって、私たちはあらゆる病気の苦痛について、よく知っています。

痛みや病気で苦しんでいる時に、逃れることができる唯一の方法は何でしょうか。
それは、鎮痛剤と治療です。

病気にかかって苦痛と痛みに呻吟している時、私に必要なものは何もありません。
お金でも名誉でも権力でもありません。ただただ、治療と健康のみ、です。

私たちは医学の発達で、比較的簡単に病気の苦しみから解放されることができるので
この驚くべき恵沢に対するありがたみを知りません。

自覚がそうなのです。

自覚は、私の精神を完全に他の人へと、
私の人間性を完全に他の存在へと、脱皮させることのできる
肉体と精神をひっくるめての、最も大きな恵沢なのです。

けれども自覚は、いつでもどこでも簡単に手に入る鎮痛剤とは、違います。

自覚は、数多くの輪廻と転生を通して、無数の人生の経験を経た後に
私の不断の努力によって、私が選択した、私に与えられた、大切な恵沢なのです。

自覚は、私がするのですが. . .
自覚に出会い、自覚を知り、自覚をするようになったことは
明らかに、世の中で最も大きな恵沢を受けているのだと断言できます。

みなさん. . .
いま私には、世の中でこの上なく
最も大きくて深い恵沢が与えられています。

世の中の他の何ものにも比較することのできない
最も大切な価値と機会が私に与えられているのです。

みなさん. . .
この神の恵沢の前に、私はどのようにすべきでしょうか。

(この文章は 2016年08月21日に書かれたものです)