投稿日:2017年9月15日
最終更新日:2017年9月15日

しっかりする

現在の私の状態から知恵深くなるために
なにかもっとしなければならないことはありません。
ただ、私が今している愚かな仕業を止めればいいのです。

各自が、私は今どんなことをしているのか、振り返ってみましょう。

私の一日はどうですか。
私を知りたいという努力もなく、世の中にうずもれて日々を送っています。
かけがえのない時間、あまりにも大切な一日を無意味に浪費しているのです。

人生において最も重要なことは自分自身を発見し、わかり、目覚めることです。

人生において、それ以外に重要なことは何もありません。
自覚、悟りのほかに、現在の生活では何も重要ではありません。

人生の価値を知るために生きる?人生の経験を得るために生きる?
人生の意味を探すために生きる? . . . みな戯言に過ぎないのです。

私を知らないまま生きていく人生は
何の価値もなく、何の意味もなく、何の人生の経験でもないのです。

それは人間の生活ではなく、動物の生活だからです。
あえて動物の生活と比べて異なる点が一つあったとしても
それは動物よりも複雑に生きているということだけです。

人生において、私に対する自覚を持つ時間だけが
はじめて人間の生活をしているのだと、断固として言うことができます。

富貴、栄華、愛、権力、名誉、このようなものを追いかけて
灯蛾(とうが) のようにあちこち彷徨い回る人生は
やはり生きている人生ではありません。

ただ、夢を見ているのです。
夢の中の人生を生きているのです。

人生には四つの形式があります。
生まれて、老いて、病にかかり、死ぬのです。
けれどもこの四つの形式は、順序どおりに守られるのでもありません。

ある人は生まれるや病気になり
ある人は生まれるや否や死にます。

ある人は老いもしないうちに病気にかかり
ある人は老いを待たずして死にます。

このような出来事は時間をかけて起こりますが
時には、瞬く間に起こりもします。

こんな不知不識、刹那の人生の渦中で
欲張って欲望を抱いて快楽を追いかけ生きるというのは
どれほど無価値な人生でしょうか。

こうした人生を生きる人々は
自分が死ぬと知らずに火の中に飛び込む
灯蛾のような存在と同じです。

自覚は、無知と迷いの深い眠りから私を悟らせる
漆黒の闇を照らす、一筋の光です。

世の中で最も価値のあることは
私を自覚することであり、私を悟ることなのです。
人生において、これ以上価値のある大切なことはありません。

正気に返って

もう一度気を引き締め
また、しっかりしましょう。

(こちらの文章は2015年07月17日に書かれたものです)