光陰の真っ只中

みなさんこんにちは、キャンドルライトのタダールです。


今回のメルマガ担当させていただきます。


ですます調でなく、だ調、お許しください。
自分自身に語っているつもりで書いてみますので。



3月に旧大阪センターにお邪魔し、引っ越し前の様子とともに、
道伴の方たちとひと時の会話をしばし交わした。

(キャンドルライトのセンターは、今年3月末に引っ越しました。)
(キャンドルライトでは会員同士を道伴と呼んでいます。)



ドクターとして、5年以上認知症診療にも関わってきて、
世間で言われる認知症の周辺症状、つまり徘徊・暴言・うつ傾向・介護への抵抗など、
まわりが困るような症状に向き合ってきた。




もちろん必要悪かもしれないが、患者さんは薬物療法で穏やかになっていかれるので、
家族や介護する方々と話しながら適量を決めて処方していく。
量が多いと眠ったようになり、人間らしさがなくなってしまう。
少ないとそのままで周りが振り回される。



そんな診療の日々を道伴と話していたら、

「マスターゲート氏は、魂を目覚めさせるということは、まずは60歳以上の方から始めようって。
それはその年齢以上になると肉体との同化が強くなり、だんだん困難になるので、
まずは年配の方から始めるということらしい。」

という話だった。



私も診療をしてきて思う。



一見、薬物療法で穏やかになられるし、周りの方々の事を考えるとまずは必要な治療ではあると。
しかし暴言や徘徊などの周辺症状は、根底にある心の認識の問題から発していることを感じていた。
そのため認知症の症状が軽い方にはいろいろと自覚的話題の話をさせていただく。



ある患者さん。


認知症の程度は非常に軽いのだが、元教員だったらしく、ちょっと言葉が出てこなくなると、
自分に言うらしい。


「馬鹿だね。馬鹿馬鹿。」と。




「先生、なんでこんな厄介な病気になっちゃったんでしょうね?」
日常生活にはほとんど問題がないにもかかわらず、心生活では非常に大変なわけである。




「馬鹿言うの止めましょうよ。
自分を見ていけるのは自分しかいないんですから。
大丈夫だよって言ってあげてくださいよ。」



しばしの会話が流れ、少し軽くなって診察室を後にされた。



重症の認知症の場合は、まずは、薬物療法で本人の悲壮感をとっていただくしかない。
それは本人が穏やかになるためもあるが、それを取りまく介護する人のためでもある。
このような薬物療法で終わりかと言われると、全然そうじゃない。



患者さんを取り巻く家族の方の、認知症患者を持っているという物語にまつわる家族の固定概念に、
少しメスを入れさせていただく場合がある。
なぜならそこに家族自身が苦しんでいる姿が見受けられるからである。



それは医学書に書いてある診療マニュアルではない。
しかし自覚をやりながら月日とともに流れてきたら、診療がそのようなスタイルになっていた。



5年前になんとなく始めた診療が、今やっている自覚と大きく関連するとは
当時は思いもよらなかった。


しかし自覚に出会った者として感じるのは、認知症については今の医学でやれる範囲の事をやるというのが最大の治療ということにはなっても、認知症の患者だけでなく家族の方も含め、根底にはとても大切な課題があるということだ。



それぞれの方の心の引っ掛かりの元、ある考え方に固執しているということが、
その方の深刻さを生み出しているということである。



自ら選んだ考え方で、自らの苦しみを作り出している。
それが自覚できていない。なぜその深刻さが出ているのか、
しばし自覚的会話が診察室で織りなされる。


こんな時間が流れる中で、施せば施すほど、自覚に出会っていることの有難さを感じる。



自らのコップの水を満たさないと人に水を与えられない。
満たされたコップには感謝というハートが詰まっているので、おいしい水を与えることができる。
そして水は外から手に入れるものではなく、内から湧き出る湧き水なんだとわかる。



キャンドルライトの中で、マスターゲート氏は、ずっと

「私だけを見てください。私を愛してください。私が私のために、私の課題を解決してあげてください。」


と言い続けてこられた。



境遇の違う人間が集まっていながらもだ。
氏は、湧き水を掘り起こす作業の発起人である。
しかし日本でも印可者が増えるにつれて、自らが湧き水と自覚していった人が増えていった。



今でこそ、小さな枠・固定概念としての「私」が無くならないと・・・といった
次の段階の表現も出てくるが、自らが灯をともした道伴は、逆説的だが勇気をもって、
「私」という小さな枠を外す道のりへと移ることができる。




それは湧き水あるが故だ。



今はクリニックで仕事をしているが、この湧き水を少しばかり患者さんにお配りして
いるかもしれない。



この地域で、目の前に現れてくれたご縁。その方その方にお配りする湧き水。
でも、一番良いのは、いろんな方が「自覚」という言葉は使えないまでも、
自覚をしていただくことが、その方の最大の解放であることは理解しているつもりだ。




まずは、日々自ら自覚する。そしてご縁の中で出会った目の前の方々には、
自覚的に接する。



ただただ、それだけである。



小さい頃から周りの大人(教員含む)に言われ、違和感というか、
見つけられずに悩んでいた課題がある。
それは「お手本になる道の師を見つけなさい」という言葉だ。




剣道をやっていたが、師?という感じで、それって破る目標に過ぎないのでは?
と考えたり、医師になっても、この人みたいになりたいという師が見つからなかった。
師に関しては、縁なき衆生だったわけである。



しかし人生、何が起こるかわからない。


禅でもそうなのだが、キャンドルライトでもストライクゾーンに入って来る師に出会ってしまった。
機縁とか言うが、本当に感謝しかない。



今思えば、結局深い部分では、世間的には良いと言われる師の方々に対しても、
心底納得いかなかったのであろう。


当時の私以上に、私を知っているものがいたわけだ。




マスターゲート氏は言われる。
「ここに来られたみなさんは、成長の最終段階ですよ」と。



当時は師匠話がうまいなあと思った部分もあるが、診療する中で日常の数々の出来事の中で
私を見失って放浪しているような患者さんの姿を見る時に、私は思う。



「ある考えを持っているが故に自分が振り子として左右触れているのだが
その振り子は自分の考えが作っている。そんな中から自分に意識を向け、考えの主人になっていこうとする段階が、それなりに意識的成長をした段階でないと、
大きく自分の舵を動かせないということだ。



ほとんどの方は、元の考えの中へ後戻りだ。良くて違う考えに変えてみるという程度。
切実な問題で意識的成長をせざるを得ない方々というのは、実はチャンスでもあるわけである。
後でわかることになるのは、ご縁に恵まれていたということ。」



禅の老師の言葉とマスターゲート氏の言葉が重なった文言があり、みなさんにもご紹介したい。


禅の老師の言葉である。


「みなさんが、今私の言っている言葉を当然のごとく信じられて、
その道を当たり前のように歩む縁があるということは、相当な功徳の結果なんですよ
。一億やら何億やらお金持ってきたって足元にも及ばないんですよ。
だから道を歩いて行かれるとともに、自分のわかった分に応じて、人にお伝えになるとよいですよ。」



悟ったかどうかに引っ掛かってはならない。
逆に悟りを否定してもいけない。
いつも言われることは


「誰がそれを認識しているのか?」「その私とは誰か?」なんだ。



世界を認識し、そこに多彩な物語を作っているのは、私だ。その道具は心だ。



キャンドルライトの大黒柱、一切唯心造。
マインドは巧妙で、複雑な事や深淵な事こそが光明であるかのように見せかける。



しかし道伴は、あれだこれだというたくさんの門という関所がナンセンスだとわかっている。
大道無門である。門があるとすると、私がその門を作っているだけ。
結局「心」なわけである。この核心を理解していることがどれだけ有り難いことか。



これはどういうことか?



現実世界でのそれぞれの道の大家の言う言葉を参考にすることはあっても
それに左右され深刻になる必要などないということだ。どんなことでもだ。




どこかのドラマで「生きているだけで奇跡なんだよ」という言葉があったが、
「生きている上に、自覚に出会うってことは、奇跡の中の奇跡なんだよ」とでも言えよう。




マインドは飽きっぽい。



過去の記憶を引っ張り出しては、今目の前の事象に素直に向き合えない。
マスターゲート氏は、言葉を変え、その時々に応じて自覚をいつも促している。



自覚の母艦が必要で、それはすでにある。

センターもある。

師もおられる。

道伴もいる。





あと必要なのは何か?




たった一つ。

それは、切実さ。菩提心であり、発心である。
つまりこの私の姿勢だけだ。ドラマの脚本家を本当に知りたいのかどうか?




マスターゲート氏は、当初から日本で花開いた禅「ZEN」を話して来られたし、今もそうだ。
ゲート氏が翻訳されたOsho(ラジニーシ)についても、後年は禅の講話に傾いているという。



私自身が花開くというのはどういうことか、わかりやすく何度もお話しされるゲート氏。



ご縁は、存在とあなたの共同創造です。

ご縁のある方々は、ぜひキャンドルライトに出向いてください。
禅的言葉を借りるなら「光陰虚しく渡ることなかれ。」です。




まとまりのない文章になってしまいましたが、今回の文章は私自身に向けて、
叱咤激励の文章であることを書き添えておきます。



ありがとうございました。
ご縁に感謝します。




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マスターゲート氏と行くワールドツアーin名古屋が決定いたしました!


【日 程】 2017年6月18日(日)〜6月22日(木)

詳しい内容は 

http://101candle.jp/event-505.htm 

をご覧ください。


お楽しみに!!!

配信日:2017年5月15日