道を歩く

今回のメルマガを担当させていただきます化緑(ファロク)と申します。

自覚と出会ってから、とぼとぼと歩いてきた道を振り返ってみます。

キャンドルライトに入会した当時はよく悩んでました。

私本当に悟りたいのかなぁ
私はそこまでの情熱があるのかなぁ
情熱って、、どこから出てくるのかな。
私にこの道を行く資格があるのだろうか。

そんな時、どどどっと他の道伴さんがマスターゲート師匠より見性を印可されました。

その時、私の心の中に、悔しい、という感情がありました。

え?私そんな感情あるの??
とびっくりしました。

その感情をしばらく見ていました。

自分の中にカラカラと渇いたところがあり、そしてそれを満たしたいと思っていました。

私は“情熱”とはこういうものだ、という考えを持っていたんですね。

私は渇いてる
それを満たしたいと思っている
それが私の情熱

私がそう思うならそれでいいじゃないか^_^
そう思えました。

それから小さな情熱を静かに消えないよう自覚することを努めました。

でもなぜか怒涛の日々の始まりでした。
出るわ出るわの不足感。

育児もやだ、家事もやだ、仕事もやだ、私に課せられたすべての役割を放棄したいと思っていた私でした。

それからその不足感を一つずつ手にとって自覚してゆく日々でした。

そこで分かったのは
私は私のことが大好きだったことでした^ ^

若い頃は美術をしていたのですが、誰よりも自分の作ったものが好きだったことを自覚しました。

私の一番のファンは私だったんですね。

そして何より
好きなことを好きなだけしていた私のことをとても大事に誇りに思っていることでした。

このことに気づいた時はとっても嬉しかったんです。

紐解いていくと
様々な事は私が私の事を好きなゆえの葛藤なのだなぁと考えの構造が分かりました。

好きだからこそ周りに私をカッコよく見せたいし、そのために自分に嘘をついたり、こじらせたり、ややこしい考えを作るのが見えてきました。

それでも、、私はいつも不足感を感じていました。

どうやったらこの煩わしい心から逃れられるのかな、、いつも心が重くて、、
私は私をどうしたら信頼してあげられるのだろう・・

追い込まれて思い出したことがありました。

当時、せっせと作品を作りながら私はなんの根拠もなしに自分の感性を信じていました。
当時の私も、私の心から逃れたい一心で私の中にイメージを探し、出てくる感性をすがるように信じてました。

もしかしたら私はすでに私を信頼してたのかなぁ、、

何か一つ穴が空いたようでした。

この時の感覚を何度も何度も反芻し自分の中に刷り込ませていきました。
そして、私は私を信頼していた、そこから自覚するよう心がけました。

私を見る矢印が私の核にやっと合ったようでした。

それからは芋づる式に根底にある「これが私だ」と思っていた考えがひとつ、またひとつとバラバラバラと崩れていきました。

私を見ていったら、私はすでに情熱があり、すでに私を大好きで、すでに私を信頼していました。

私にとって自覚とは、すでにあるものを見ていくことでした。

すぐにまた考えに飲み込まれ迷子になってしまうのですが、それもまた私の道。

自覚を起こし、受容し、包容し、すべてに感謝をして歩いていこうと思っています。




土手を駆け上がるとたくさんの人が同じ方向に向かって歩いていて、私もその流れに身をまかせる


そんな白昼夢を見たことがあります。

共に歩く方は道伴さんで、ずーっとずーっと先にお釈迦さまやイエスさま、そして師匠がいらっしゃる、そんな気がしてならず涙が溢れました。

私の考えの成れの果て、、かもしれませんが大好きな考えです。

みんな道を歩いていて、、
今世、出会えて幸せです。

もしどこかでお会いできましたらお話できるとうれしいです^_^

読んでくださってありがとうございました。

(註)
道伴=自覚を共に学ぶ仲間のこと
見性印可=師匠であるマスターゲート氏が「自分の本性を悟り、一切唯心造を深く理解した」と認めたキャンドルライト会員に対して、見性印可をおろすという仕組み

配信日:2019年2月10日