3万人の私 〜マスターゲート氏講話より〜

こんにちは。今回のメルマガを担当させていただきます、善鈴と申します。
今回は、私が最初にゲート師匠に出会ったときにお聞きした講話をご紹介します。

まずはゲート師匠のお話をお聞きください。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

皆さん、私がどんな存在かというと、存在を創る存在です。
それしか表現しようがありません。私は、私を創る者だ。

実は前世というのはあるのです。多い方は約3万回の生まれ変わりを体験しています。
皆さんは記憶できないでいるだけで、過去には他の国の人だったし、性別も性格も環境も違う人生を生きていました。
そういった、今の私とは違う私の姿が数万個になるということです。

その数万個の前世を、今ここに全部集めてみたと考えてください。
そうしたら、誰が本当の私でしょうか?
何回目の前世の姿が本当の私でしょうか?
常識的に考えてみてください。全部私じゃないですか。別の姿として生まれただけです。
ですから「今のこの姿かたちが私だ」というのは説得力のない話です。
そうだとしたら過去の人生で生きていた、その姿は一体誰ですか。その前は?
今の私だけが私だとしたら、過去の私は私ではないのでしょうか?
ですから3万回生まれ変わっている別々の姿が全部私であるわけです。

この結論からしてみると、私に対する定義をどのように下したら、いちばん賢明でしょうか。
それは、「私は誰々だ」ではなくて「私という存在は、誰にでもなることができる」です。
そうでしょう?私という存在は、誰にでもなることができる存在です。
この公式だけを解いてみても、皆さん、「今の私が私だ。今の私だけが、本当の私だ」そういう錯覚から抜け出せないといけません。

じゃあ皆さん、ここからもう少し深い所に入っていきます。
私は誰にでもなることができる人だとしたら、私は肉体的な存在ではなくて、どんな肉体も作り出すことができる、生命力です。
私の本当のアイデンティティーは、ある形や物質ではなくて、その形を作り出し、物質を成す生命力だ。エネルギーだ。
どれほど自由だろうか。
だから「私だ」、「誰々だ」というふうに姿形や物質を持っている自我、「私だ」と思っている自我、それも私の正体ではないんだ。私は自我を作り出す生命力なんだ。

すべてのストレスは、どこから来るのだろう。
今の私だけが私なんだという考えからくるのです。
私は誰なんだ?
私を創りだすものだ。私はすべての考えと感情を作り出すものだ。
私がもしもそういった生命力であるならば、私はいくらでも、どんな私でも作りだすことができる。
それなのにどうして今の私にそれほどまでに執着して、どうして今の私にそこまで振り回されるのだろう。そういうふうに接近することができます。

そして、私が本当に生命力ならば、この生命力で創りだした今の私を通して、どのように生きるのが最も賢い生き方なんだろう。
あなた自身が一度考えてみてください。
生命力である私が、生命力が私の本性だとわかっている私が、今の私を誕生させたんだけれども、誕生させた、その理由はなんだろう。
私は今のこの私を誕生させて、何を学ぼうとし、何のために私はここに存在しているのだろう。
どうして私がいろいろな私を作りだしていくんだろう。
別の私からまた別の私を作り、そんなふうにずっと別の私を作りだしていくわけは何なんだろう。
いろいろたくさんの考えを作り出すことができます。

私の意識が目覚めることほど、この世に大事な事はありません。
ですからこの悟りを、ずっと維持させてください。もっと分かろうと努力してみてください。それを疑ってみて、判断してみて、研究してみて、分析してみてください。
そしたら、たくさんの答えを私が今あなたに与えなくても、あなたが整理することができます。
もう少し悟るようになり、分かるようになって、
「こういうことだったんだな。本当にこれは正しい。こうであらざるを得ないんだ。だからこうしないといけないな」というふうに悟りがあなたを導いていきます。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

引用が少し長かったでしょうか(^-^;

このときの私は、ゲート師匠がどういう人で何を教えているのかも知らず、「自覚」という言葉すら知らなかったのですが、
「私とは何者か」「どのように生きるべきか」という根源的な疑問に対して、ここまで明解に、論理的に、わかりやすく話してくださる方がいたことに衝撃を受けました。
こんなに常識的で当たり前の事なのに、今までこのような話は誰からも聞いたことがなかったし、自分でも考えつかなかった、いわば盲点をつかれたような感じがしたのです。
それで、この方は一体何者なのだ、この方の話はもっともっと聞かなければならない!と思いました。

それから6年が経った今、また読み返してみると、本当にこの講話が始まりであり終わりなのだということを改めて感じます。
この講話に沿った形で、私のその後の自覚人生が展開してきているとすら思うのです。

私とは私を創っているものなのだ。
では創造主たる私は、神の子である善鈴をどのように見ているのだろうか、どのように生きてほしいのだろうか。
日々、創造している、この私の人生を祝福せずにいられません。

ご縁があって、このメルマガをお読みくださっている皆さまが、創造主としての人生を謳歌していかれることを、心から願っています。
お読みいただき、ありがとうございました。

配信日:2019年4月25日