自覚について思うこと

今回メルマガを担当いたします、遇眞(うじん)です。

 101キャンドルライトに入会したのは2012年6月。
故テディさんがスピリチュアルTVで「キャンドルに入れば早い人は2、3ヶ月で悟れる!月会費はたった3,000円」と盛んにすすめていた頃だ。

 前年の2011年には311の震災、原発事故、母が亡くなり、息子は引きこもり状態で私も不安定だった。翌7月のタイへのワールドツアーにも魅力を感じた。生のテディさんにも会ってみたかった。
 その頃は正直「自覚」をなめていて2、3ヶ月で印可をもらえるだろうと思っていた。永い永いスピリチュアルな探求歴があったので。
 ところが!実際に印可を頂いたのは、3年後の2015年2月14日、誕生日の翌朝のバレンタインデー。バリ島、箱根ツアーの後だ。おそらく入会から印可までに要した期間の最長記録だろう。
意識的に自覚を始めたのはむしろ、それからかもしれない。
 意識的にというより、ツアーや道伴との出会い、会話を重ねるうちに自覚と自愛はいつのまにか浸透し身についていた。

 その年、テディさんのスピTVにノンデュアリティの大和田菜穂さんが彗星のように登場。スピリチュアル界に風穴をあける痛快で斬新な存在に大きな衝撃を受けた。
 キャンドルとノンデュアリティは車の両輪のように私の生活に欠かせないものとなった。
 「私を通して悟りにいたる」というキャンドルの自覚と「私はいない」というノンデュアリティは一見、正反対のことを言っているように思える。しかしそれは言葉という表現上の表面的なこと、実は同じことと最近は思うようになった。

 特に今年5月の名古屋ワールドツアーの後、私にとって大きな自覚、気づきがあった。
 ツアーの折などにマスターゲート氏や道伴にも相談していた息子のこと。うつ病とパニック障害に苦しんでいたこと。何より親として「死にたい」と言われるのは辛いことだった。
 辛い気持、死にたいという思いは、実は私のなかにあるということ。それを認めず=自覚せずに切り離していたから息子を通して現れていたということ。
 「私の中に」というより、全体というか、雨が降るように風が吹くように漂っているということ。
 「死にたいと思うこと、自殺することは良くないことだ」という強い思いが私にあったと気がついた。
 しかし死は、今、生きていることと同じように良し悪しの判断を超えて、すでに起きている。思慮分別を超えて起こることで、私のコントロールできることではない!ということ。
それは大きな安心感をもたらした。

 すでにすべては起きているということ。自覚も。それはミラクル、愛の奇跡だ。
マスターゲートさん、ともに歩む道伴の皆さんにも感謝!の今日この頃です。

(註)
印可=師匠であるマスターゲート氏が「自分の本性を悟り、一切唯心造を深く理解した」と認めたキャンドルライト会員に対して、見性印可をおろすという仕組みのこと

道伴=自覚を共に学ぶ仲間のこと

配信日:2019年7月10日