投稿日:2021年12月14日
最終更新日:2021年12月14日

自覚 一発


私たちが使う言葉の中で、「じっくり考えてみる」という言葉があります。

熟考してみる、すなわち長く考えてみる ということです。

現実生活でこのような言葉は、深く考えて賢いアイデアを出したり

賢明な判断を出すために努力してみるという趣旨で受け入れられます。

もちろん、長く考えたからといって 長考したからといって、必ずしも良い判断と決定が出るわけではありません。

時にはいろいろな状況 つまり周りの状況を考慮するために、やむを得ず時間が必要になることもあります。

けれども、それさえも時間が解決してくれるのではありません。

結局正しい決定は、常に人の心にかかっているものであるからです。

異見があっても、互いに譲歩し 互いに理解し 互いに協力すれば、問題が生じる理由がありません。

ただ勉強においては長く考えてみる、長考は必要ありません。

「頓悟(悟り)を得るために漸修(修行)をしなければならない」

とんでもないことです。

勉強は、考えて お休みになって、なるものではありません。

勉強には悩みは必要ありません。

全ては私の心持ちにかかっているという、一切唯心造の自覚 一つさえあればいいのです。

そのために不断の自覚をしなければならない?

到底 話になりません。

悟りを得るための努力... これも笑わせる言葉です。

執着 愛着 未練が、そのような理由 言い訳 弁明の過程を作り出すのです。

「人生は一発逆転」という言葉があります。

そうです。 「自覚は一発逆転」です。

直指人心(じきしにんしん) 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)を指すものです。

直指人心 私を見れば、解答は出てきます。

愛着し 執着し 未練の多い私のしっぽを見れば、答えを得られるというのです。

そうするために努力しなければならない?

皆さん。 それがみな、愛着で執着で未練で無知だと気づくのに、努力が必要でしょうか。

とんでもないことです。

これ以上、言い訳と弁明は要りません。

自覚 一発、です!

(こちらの文章は2021年11月11日に書かれたものです)