最終更新日:2013年4月26日
自覚の機会
人が水に落ちた時、泳げなかったら、ほんとうに這い上がるのが大変でしょう。
しかし、水としょっちゅう接して水に慣れたら、いつのまにか
その人は、水から自由になる泳ぎ方を会得するでしょう。
そして、もし彼が泳ぎ方を会得したなら
いまや彼は、どこで水に接しても、溺れるはずはないでしょう。
私が現在、ある深刻な悩みや煩いに陥っていたり、激しい感情に振り回されているなら
私は深刻の水の中に溺れているのであり、煩いの水の中に溺れているのであって、
激しい感情の水の中に溺れているのだというのです。
私がこのような状態から抜け出せる道は、
まさにそのような、深刻で、煩いのある、激しい感情の場から超然とできる
泳ぎ方を会得することです。
人は、自分が直面している状況と状態で満足と理解をすることができず、
いつも、また別の環境を追おうとします.
この状況からあの状況に・・・この状態からあの状態へ
絶え間なく変化だけを要求します。
しかしほんとうに私自身の変形が起こるのは
私に提示された状況が変わったり、私が直面している状態が転換されることから生じるのではなく、
私が、ある状況と状態に直面していても、そこに溺れるのではなく
その状況と状態を、悠々と泳いで行く泳ぎ方を会得する時、可能なことなのです。
私が現在、どの状態に留まっていようと、その状態は私が作った水中なのです。
私にどんな状況と環境が提示されようとも、それは私が、その状況と環境を通して
学ばねばならず、会得せねばならない泳ぎ方が存在するという事実を悟るためにです。
その泳ぎ方とは何でしょうか。
それはまさに、自覚であるのです。
私が今、どんな環境と状況に直面していようと、今がまさに機会です。
自覚の機会は、このように、いつも私と共にあるのです。