最終更新日:2017年7月30日
私自身が大きくなるのです
自覚を、考えの変化や感情の変化を図る
概念として考えている方々が多いです。
しかし自覚は、このような考えや感情の変化を与えるための方便ではありません。
自覚とは、意識の変化と意識の転換を呼び寄せるようにする成長の過程であるのです。
欲を出す心を欲を出さない心へ変化させろというのでもなければ
執着する心を執着しない心へ転換させろというのでもなく
欲求を無欲へ変えろというのでもありません。
絶え間ない自覚を通し、私の意識が成長することによって
私は自然と、私の欲求と執着と欲が微々たるものになっていくのを感ずるようになるのです。
現在の恐れ、恐怖、不安、焦燥、もどかしさという感情もまた、私の意識が成長することによって
そのような感情はだんだん薄れていって
しまいにはその痕跡さえ見つけられないほどに、微かになっていくのです。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。私が成長したからです。
当時にはあれほど切実で絶対的だった、私の五感と肉識によって起こった感覚と感情が
今や成長した私の意識の観点から見ると
その大きさが見る影もなく、小さくてちっぽけに見えるというのです。
このような事が起こるわけは、考えの転換でもなく感情の変化でもない
私の意識の成長によって、自然と私自身の主観と視野がそれほど幅広くなったことを意味します。
幼い頃大変だったことが、今になってみるとこの程度のことにすぎないようにです。
同じように、一時は私の全部であり私の全てであった私の哲学、私の人生観、
私の価値観、私の主観、私の概念、私の主体意識が
成長した私の観点で見ると、どれも、遙か昔の幼かった頃の考えの断片にすぎないことを認識するのです。
このように意識の成長と悟りとは、ある状態から別のある状態へ移り行くことでもなければ
ある新しい境地へ行くことでもなく、ある主題から別の主題へ変わることでもありません。
意識の成長とは、このような私の中の小さな変化ではなく、私自体が大きくなることです。
ですから私が小さかった時、私に脅威となり大きく感じられたすべての事が
相対的に小さくなることを感ずるようになるのです。
(この文章は 2013年9月5日に書かれたものです)